2019年3月26日火曜日

つもりメガネ

大喜利βに寄せて

カードです。(カードという筆者という"てい")

少年漫画にでてくるときの 体(てい) の表記をするなよ

改めてカードです改めカード

集中砲火みたいな構図になってしまったり、便乗的な構図になってしまったりするのが懸念ではあるが、
こういう機会でもないと、論ぜられないような熱量であるので、いま、さらと書き出してみようと思う


ただ、前提としてお願いがあります。このカード(記事)はこっそりとしたカードです。
理由はひとつで、別に大喜利βに批判的なことを言いたいわけではないというか、人の活動を制限したいわけではない、ということによるものです。かなり、思うところを書くので、批判的である部分は有りますが、それはあくまで個人の意見であり、こっそりと、「こう思う人もいるんだなあ」くらいに留めて欲しいのですが、このいまいまの風潮からすると、それだけじゃすまない可能性が、結構あるかも、というところです。
このカードを結構な世論代表的な側面として取り出されて、突きつけるような真似をされてしまうと、思った以上の打撃力を持ってしまう、というのが非常につらいのです。
だから、こういう風に思っている人もいるよ、という一部の、ほんとうに狭い言葉や意見や気持ちであり、「さらっと」捉えてくれればいいのです、というのが前提前提大前提でありますという前置きです。なので、絶対にこの記事を読んだ人は拡散しないで「ほ~ん」と思うだけ思ってください

長前置きが終わりまして本旨に突入しかねない勢いがある
前提をご理解ください、前提をご理解ください(機械音声)

start(speed start)
大喜利βというものが、とにかく嫌いであり苦手であり辞めて欲しいほどつらかったのですが、
誰にそれを言ってもあまり共感も得られないため、心の奥底にしまっていました

人が一生懸命作っているものをバッシングするのは、倫理的配慮に欠如しているし、
そして、それがまっとうな根拠を持たないものであれば、尚更なのである。
しかも、それが作られようとしている理由も、極めて創造的な行動や、そして仕事を辞めるなどのリスクを投げ打った行為であることにより、
更にそれに対してコメントをすることが憚られてしまう

ここではざらっと大喜利βに対して思うことを書いてみようと思うが、
それが大喜利βの活動に対して制限をかけたいとか、製作者に向けた悪意からなる言葉ではないということを
往々にしてご理解いただきたい。

大喜利β という創造的な活動に対して、何を感じ、何が反作用的になっていると思っているのかを書き出す。

まず、大喜利βへの感情だが、「本当につまらない活動であるのでキツい」ということである
面白い、というものを作る、という活動なのに、「つまらない活動を推進するセンスがない人々」という認識で見ているので、
それはもはや嫌悪的な目線でしか見れないというのが現状である

何がそんなにつまらないか、という点だが、
「大喜利ができるマシーン」というものを必要としている感情が一切理解できない、という点である。

それは、もはや、シャワーでしかなくない?
⇒さらっと書いたが解説的なことをする(小さいサイズのカードが出てくる)
シャワー というのは、伝搬経路にある「水」等の決められた流体を、機構により放出する「機械」である
つまり、決められた入力から、決められた出力が出てくるにすぎないのだ
(解説が終わり小カードが粉のような光となる)

そんな中で思うのは、何が出てくるか決まっていないシャワーがあったとして、
「とんかつソースが出てきたぞ!わはは」みたいな喜び方にしか見えなくて、
「さもしい」と思えてしまう

たとえが非常に難しいんですが、なんというか、たとえというか、なんというか、普通に説明かもですが、
大喜利は、「人間が考えたことである」ということや、「その場でしか供せない笑いがある」ということなどが
非常に有価値なんだと思っているんです。
大喜利βが、ある種、機械的なロジックをもって回答をはじき出す行為は、無粋であるという評価しか出来ないです。

大喜利は、お題というインプットがあり、回答というアウトプットがある。
このアウトプットを出力するにあたって、他よりも秀でた場合に、「面白い」という回答が出来る。

この、アウトプットが他よりも秀でる という点について、全員が、大喜利をする全員が、頭を悩ませて、
絞り出す、いわば雄叫びというか怨念みたいなものが回答であるという側面がある。

大喜利βは、そういったプロセスを嘲笑するかが如くであると感じている。
当然、大喜利βは開発から、チューニングから、(どういったラーニング方法を取っているかは存じませんが)
我々の想像以上のコストや工数がかけられているんだろう、ということが容易に想像される。

ただ、そのコストや工数は、果たして大喜利、というコンテンツに対して正当な努力なのであろうか?

大喜利、という場では絶対に、「絶対にウケる」という回答が存在してはならない、という個人的な感想がある。
「ウケる」回答は、気候や、層や、時事や、風潮や、流れなどによって、流動的であるべきである。
大喜利βは、そういったものをすべて無視している。

ただ、では、「そういったものを無視しないようにしました」という大喜利βのアップデートがあったら、どうだろうか?
流れや、気候など、その場の流動的なものをすべて考慮し、回答をはじきだせるエンジンが、大喜利βに搭載されたら、どうだろうか?

答えとしては、「許容できない」である。絶対に、大喜利として、「ウケるであろう条件」を特定するべきではない、という思いがあるのだ。
そこで、そういったアップデートをしたことにより、大喜利βは人間の思考に近づこうとするだろう。
しかし、大喜利で行う思考は、限定されてはならないのだ。
誰もまだ触れていないことやものや、思いや温度や音や感情などに意味を求めたり、未知への探索を行う行為が、大喜利であると思っている。
残念だが、大喜利βは、それになりえないのだ。構造上でなりえない。
 大喜利βでは、「設定した人間がいる」という限定的でない、x が介在しだすことによって、大喜利βは未知への探索になりえないのである。

人間の思考は、「確実な言語化説明」が出来ない以上、ランダム性が確保されている。
各人な思考により、未知への探索が約束されている。

大喜利βは、「確実な言語化説明」が可能である。いくらランダム要素を取り入れようが、
複雑な思考のロジックを搭載しようが、ディープラーニング法により、深化した思考を導入しようが、
「言語化説明」ないしは、プログラムが作り出しているひとつのオブジェクトにすぎないが故、
完全な未知への探索、は約束されない。

しかしながら、大喜利βは回答をはじき出すプロセスで、様々な畑を探索する。
それは、ある意味、人間の行くべき畑を減らす、という制約行動である、という違和感を覚える。

大喜利βが探しに行ってしまうのであれば、別の部分を探したくなる。
何故なら、言語化説明ができないような人間の深部の丹田力を誇示したりしたい、矜持があるんだよ

ここまで読んで、「気にしすぎじゃない?」という風に思う方は、
大喜利、というコンテンツについて、自分と根本から考え方が違うのかもしれないです。
僕が思うに、「大喜利」と思って欲しくないもの、なんです。これ(大喜利β)は。
絶対に、大喜利には、「回答が限定されない」形が必要なんです。
チープな言葉なので無限という言葉を使うのが恥ずかしいですが、「有限」では絶対にいけないんです。
大喜利βは、「有限」であるという制約上、大喜利をできないんです。これは性質上絶対にそうなってしまうので仕方ないんです。
それを、「大喜利」だと思って欲しくないんです。絶対にこれは、大喜利ではないです。

大喜利βが、「お題」に対する「回答」を行う、という機構を批判するつもりではありませんが、
それを「大喜利」とするのが、看過できないほどの苦痛であるということです。

大喜利は、有限であるものではない、あって欲しくないです。

カーッ ド(たんを吐くように終了のカードを言いました bye)

2019年3月18日月曜日

ステーキの感想 A-003,B-003,C-003

チョットマッテ号(魔除け)

カードです(挨拶)

いきなりユーモアにアンチ活動を行うようなチョットマッテ号が
煌々と魔除けのように輝いているため、ある程度の覚悟がある人だけが読むために残存したかと思います

パチンコのダンバインの擬似連の連打演出で「残存」って出るとき、間が絶妙でいつも笑ってしまう
アー(スピードターザン)

ということで、題の通り、ステーキの感想を書きます。
やはり、国産の牛肉というのも然りなのですが、外国産の肉は赤身の味が重厚である。
ステーキ肉をがぶりとちぎるときに、赤身の味味しさが強い意味合いを持つ、というのを感じている。

すみません。ストレートなボケをしました…。
すっとぼけというのはストレートなボケのことらしい(嘘!!!!!!!!!!!!!!!!)



すみません。ステーキの感想というのは、「街のステーキ屋さん」という俳句投稿サイト的な何某の結果から、感想を書く、というものです。
あまり最適な感想を書けるか不明ですがカードという筆者が主観のもとに感想を色々書きますゆえご容赦くださいご勘弁ください助けてください(誘拐された人?)

感想、感想(頭に感想をかけている)

A-003 は節分の画像でした。かなりやりやすかった(やりやすいってすごいリズムがいい)

妖怪きのこさん/鬼はそと海を広げていくように
良かったです。海を広げていくように、というのは状況描写なのですが、
かなりセンチな言葉であるため、感情描写を兼ねているような印象を受けます。
それが句に広がりを持たせています。「そと」を平仮名にすることにより、
「鬼は外」という言葉と、「そと(そっと)海を広げていくように」という意味合いの重なりがあり、
この句の優しい印象をさらに際立たせています。

字引祐さん/剥がされた鬼の身体は春に在り
春という季節のほんのりとした、「心の温かさ」というんでしょうか。
そんな優しさをうまく表現できている気がします。
内在する心の薄暗さが、春と調和してバランスのいい句ですね。

ルンバに乗ってさん/9連勤帰路に節分豆ひとつ
ストレートによくできている句だと思います。
状況も見えるし、人物も見えるし、ちゃんと光景もある。
お手本的な句ですね

ゴーヤベイベーさん/梅が香は いかばかりかと 面を取る
良かったです。いかばかりかという古めかしい言い方が、俳句というリソース上なので、
単純に古い言葉遣いをしても「句の書き方」に留まるのですが、「台詞調である」という点により、
老練な人物像を際立たせていると思いました。

赤黄色さん/大声の子に打ち勝てぬ余寒かな
力強くていい句でした。赤黄色さんは季語選びが成功すると、句が映えるパターンが多いですね。

もももももももさん/雪の降る地方では豆まきをする
これ、面白かったです。平坦な言い方で面白さが損なわれず言いきれている。すこ(好きよりのすこ)

もももももももさん/色も温度も無視しようこれは雪
順位の上から気になったものにコメントしているのですが、2連続にて同じ人になったのは偶然です
この句は、正直3~4点つけるか、それとも0点にしておくかを迷いました。
多分、僕個人としては、この句が一番面白かったです。

この句につけるコメントとして、2点の用意があるのですが、
1. 俳句的なことで言うと、
「これは雪」という言葉だけで、もう色も温度も無視していることが確定しています。
そのため、そのあとの残った12音でさらに踏み込んで状況を伝えることで、追加で描くスペースが生まれるイメージでしょうか。
つまり、俳句的な作り方をする場合は、「これは雪」だけで色と温度を無視していることをいきなり不親切に放り込んで、
さらに続ける言葉で読者を殺しにかかる、ということが出来なくはないんです。
だから、すごい迷った、というのがひとつです。

2. でも、この句で検討すべきは、先述の「俳句的に添削をして、語句を省略して新しいことを書く」とかいう型に則った検討は不要なんじゃないか、というのが、
コメントするときや点数をつけるときに特に迷った点です。

あくまでも、「色も温度も無視しよう」という飄々とした決意が面白いわけですし、
そこで情報を完結させるという点でのユーモアが確たる位置であるわけです。
なので、これはこの時点で完成しているのではないか?という迷いもあり、どうコメントしようか踏み込もうか迷った作品です。
0点をつけるタイミングにも決意があり、ただ、とても好きでした。と伝えるつもりではいました。


感想、感想(頭に感想をかけた状態で、床を探している)

B-003 は感想で一句でしたね(あ!頭の中で感想と思っていたら、別のことを言おうとしたのに「感想」と実際に言ってしまう面白いやつだ!)やつだ!)やつだ!)
すみません。病院 というテーマで一句というやつでした。こういう試みも色々検討してみたい

妖怪きのこさん/春の雪裏面も記入してください
カーッ上位陣が強いな本当に、「裏面も記入してください」という無機質な文面を切り出すことで、状況を端的に切り込む感じがありますね。
ここに、病院の事務的な冷たさと、春の冷たい一面性もある季語の共通性と、
病院の「機能を復活させる施設」としてのやさしさみたいな部分と、春の雪というところの儚げなやさしさ、というんでしょうか。
そういった部分がマッチしていて機能している句だと思いました。

字引祐さん/自らの詐病に呑まれて寒の雨
病院、というテーマで、「特定の人物」を描こうとすると、どうしても平坦になりがち、というか、
「どうやってベタを回避するか」という検討がよくついてまとう作業なのですが、これは、わかるわかる!感が丁度良い句でした。
多分季語選びも成功しています。

ゴーヤベイベーさん/ホスピスの祖父 薄墨で賀状書く
絵も見えて、人も瑞々しくて、すごく好きな句でしたね。
薄墨、という言葉が祖父の病気や生命を代弁しているかのようで、すごい好みの言葉でした。

フロフロ Zoom-Zoom スタジアム広島さん/つゆぞらに混ぜる待合室ショパン
これ、最初は「混ぜる?」と思って色々考えたのですが、グルグルと考えた結果、混ぜるがうまかったですね。

1. 「音情報」としての混ざる

つゆぞら:「雨の機械的なリズム」
待合室: 「待合室の事務的な音」や「咳込む人の音」や「呼び出しのチャイム音」

そして、更にショパンがかかっている。
そして、「待合室の光景」や「自分の存在」や「外の梅雨空」が混ざっている。
考えれば、考えるほど、すべてがまざっていくんですよね。すごい、咀嚼するととても感動できる句でした。

ルンバに乗ってさん/清潔な部屋清潔なシクラメン
良かったです。病院、という普段生活をしている日常的な部屋とは隔離された環境。
すこしすわりの悪い具合が、「清潔」という言葉で切りだせていると思います。
「清潔」という言葉は本来、「ポジティブ」なイメージです。
ただ、普通「清潔」をわざわざ言語化する理由はないんです。
清潔、という言葉を意識せざるを得ない、というシチュエーション=何らかの起点は確実にあるんです。
そこで、「清潔な部屋」とさらにリフレインで「清潔なシクラメン」という強調にかかる。
何もネガティブなワードを使うわけではないので、あくまで何となく不安を想起させる感じ。
また、生花のシクラメンをお見舞いに出している、という点も何となくの不和を演出していますね。

ファイナルエースさん/かたつむり 踏みたい気持ち、延命装置
これは、2つの物や事象を取り出して並列して、ストーリーを描くという手法だと思うのですが、成功していると思いました。
ファイナルエースさんの句は、かなりどれも退廃的で破壊的なのですが、これは「延命装置」というものに、
「かたつむり 踏みたい気持ち」という、「破壊衝動や諦念感などを孕んだ複雑な感情」かつ「刹那的」な感情が共鳴していると思い、そこが好きでしたね。

感想、感想(頭に感想をかけている(目は4つもない))
C-003 は、いつもの自由律でした。

かとじゅうさん/自転車をこげどもこげども消えぬ鉄塔
これは、自分のイメージする中の悪夢の共通性に近くて良かったです。
いつまでも鉄塔がついてまわる。
藤子不二雄A作品の架空作品で「マグリットの岩」というものがあるのですが、
ずっと岩が頭をついてまわる、というような悪夢性があるストーリーがあるのですが、
そういったうすら怖さが確立されていました。
あとは、ねこぢるの漫画みたいだ、とも思いました

モーリシャスさん/知らない弁当屋から知ってる弁当届いた
言葉は反復的で意味が対極に陥るの、とても好きです。
「知らない弁当屋」という非日常から「知っている弁当」で日常が取り戻される。
最終的には不和は残ったままなのが面白いです。

赤黄色さん/母は遠足のときだけ「さっちさっち亭」という知らない弁当屋になる
ほほえまC




い~~~~~~~~~~~~~~~やスラングで終わるな!!!!!!!!!!!!!!!!

スラ終わ旋風(終わり)

2019年3月6日水曜日

取られ門

SMALL って単語、ずっと見るとなんか吐きそうになりませんか?

玄武です!!!!!!!!!!!!!!!!!(カードです、すみません)

この石板(ブログのこと)は、カード(人物)が日常や文字熱を帯びたときに放熱するカード(記事)を束ねたものです。

以降よろしくお願いいたします。

今日のカードは久しぶりにノープラン、よく何らかの核をもって書く(事故)のですが、
何もない状態での放熱をやろう、ひびさに(ひさびさ という言葉は冗長すぎる ひびさでよい)と思いました

最近思ったことを雑多に書くが
・老いを思い、そして老いを自称した段階で異常に老いの加速が始まった

よく、年上が多い位置にいるので「まだ若いから」と言われることが多いが、
そしてまだ一般的にも「まだ若い」と自称している人が多い年齢帯(20代後半)であるのですが、
ふと、ふと 老いを思った瞬間ガラガラと瓦礫とガソリンが崩れてきて外国人になってしまった

最近思うのが、20歳前後の若い人が増えていて(毎年増えているらしい…)、そしてその概ねが面白いということ
そして、自分も「当時同じくらい面白かった」という自意識はあるものの、そこから何かをプラスアルファベータできたかといえば難しく
ただいたずらに年輪と傷を増やしているだけであるという思いである

ここで思うのは「おもしろい若い人たちが増えていてめちゃくちゃ好き」だが
正直「フラット対等」でいたいわけで同じ目線で位置で楽しく輪に居たい、と思うのだが、
そう思うには邪魔すぎるほど年を取ってしまった。

きっと、こと大喜利やインターネット文脈の一部では、ある程度目線を共有できて、
同じ輪の中にいる雰囲気を味わうことは可能だろうが、きっとそれだけでは看過しきれないくらい細かい差異を重ねすぎてしまった。

ある程度のときからスマートフォンを、インターネットを、Youtuberを知っている文化の人間ではないし、
教育や環境や世界も、7~8年ではザラリと変わっているだろう

そういうギャップの剥離を意識せざるを得なくなって、若い人の輪に入ることがとても怖くなってしまった
自分はもうその世代のそのユーモアや楽しさの輪に混ざりたいが混ざってはいけないだろうと思う
気付いたら、精神が19歳くらいで停止して、みんなと遊べ続けるような錯覚や幻想を抱いてしまった

でも、もう正直無理なんだろう 絶対にこのままだともうすぐ精神か肉体かが死ぬし、生活をしないといけない
きっと先般の若いその人たちの道筋となれるように何かの規範であるような状態でいたい

・何かを生み出すか
・何かの生活基盤を持つか
・何かを自覚するか

そういったことを出来ていないという自覚から年齢のみの差異からある程度のマウントとは言わないまでも
尊敬できないのに年上、という状態がいっこうに看過できん
なんというか、「年上」というだけで年下はある程度の服従的にいなければいけないじゃないですか、
本来でも自分は、年下の人でも、僕のことを尊敬やある程度の好きでなければ、そういう構図いらないなと思っていて、
対応的に「おい人間」とされてもよいという思いがあるわけです

ただ、今の状態だと、誰も自分を尊敬するような状態を何も残せていない、なんなんだという思いがある
これはかなりやばいので本当に何かを考えなければならない

もう、すべて、社会的や通念的な「普通」を足蹴にして、「自分の楽しいことだけをやっている」だけで成立することが、微妙に厳しい年輪になってきてしまった
たとえば結婚とか、それか出世とかしていて、「社会的な普通」を成立させたあとに、趣味的なユーモアを趣味的に手出しすればいいのではないか?
もしくは、それか、そうとは言わないまでも、何かを「作る」という、創作的な、生産的な状態にならないといけないのではないか?
怠惰や慢性や壊死が何も生み出さなくなってきてしまったのに気づかなくなる数年だった
というのが懸念であり、心の澱です、心の澱って神殿みたいでかっこうがよい

つまりは


アーーーーーーー登山をします

という着地です
したいのにしていないことがあるわけで、そしてそれが運動活動の関連であれば、しない手立てはない
心身ともに健康になり、山でガハハとウーロン茶とカップラーメンを啜るぞ

カーーーーーNO PLAN に書き出したましたがずいぶんと暗々(焼肉屋の音を出す)とした感じになって驚いた
心がスーーーーとして湿布を貼られてしまった、湿布ははがそうかな、心が臭くなるから

うんち(うんち!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!)

2019年3月5日火曜日

ステーキの感想 A-002, B-002, C-002

カードダス(ついに言った!!!!!!!!!!!!!!!!!!)
カードです。

街のスマーキ屋(スマーキ?)さんのご参加等々、皆々様等々、有々難う等々ございます~

ついに感想を一周さぼってしまいましたが、まとまった時間があったので、執り行います~
執り行うが執行になるの、美しくないですか?

!?

すみません、ニコニコ動画で一番面白いコメントをしてしまった
俳句の感想を書きます

気になった句をピックして何か書きます、何か

お題A-002(季語必須)「兼題画像にて一句」
城とかまくらの画像でしたね~、かなりやりやすい画像だった気がする

虎猫さん / 世界から離れて笑う咳二つ
画像との親和性がありましたねぇ、咳二つという言葉で、人数も状況も感情も代弁させているし、その前置きも良かったです

博士の生い立ちさん / ストーブに慣れたか弱い女の子
4点入れてしまった、女の子しか書いていないし、その説明しかしていないのに、
読み取るだけの読みしろが非常に多かったのがすごい良かったんですよ
ストーブに慣れた女の子と、冬景色のもの悲しさが「か弱い」という言葉にすべて吸収されていました

妖怪きのこさん /  除夜の鐘みじかく鳴らす上手さかな
こういう、日常的に経験していることの裏や深さを気づかされるような句はとてもすごい
詠嘆で終わることによって、この人の感情を読み取って、共感もできるし類推もできる
108も鳴らすのだから、短く鳴らせるテクニックは大事ですよね、という想いを発展させていくこともできる
「みじかく」を平仮名にしているのは、除夜の鐘短くという続き方が読みにくいからという配慮もあると思いますが、
本来、「短く」なんですから、文字面も「短く」2文字で収まる方がおさまりが良さそうで読み取りもよさそうなのですが、
なんせ、除夜の鐘、なので、いくら短くても、余韻がある音なんですよね。
だから、「みじかく」という平仮名のみじかくが、ちゃんと死なずに生きている気がします。


お題B-002(季語必須) 言葉から一句
おじいさん ありがとう というテーマで句を詠めというお題でしたね


かとじゅうさん / 一字継ぐ名の重さかな彼岸花
赤黄色さん / 菊日和知らぬ女が墓に水

これはどちらも、「季語選択」を間違えなかった句だと思いました。
どちらも死の周辺の出来事を、実感を持って描いている。そして、その出来事を季語がまとめあげている。
そのバランス感覚というか、味付けが間違われなかったことで、しっかりいい句になってるなと思いました

暴朴さん / 蛙より小さく笑ふ電話口
これ点入れてなかったぽいですけどいい句ですね

FANさん / 死にたいだろうに 僕が生きてと言うものだから 年を越す
すごい好きでした。主観や偏向的な感情がガラガラっと吐露されて、そして痛烈な字余りなんですが、
最後、「年を越す」でしっかり締まるんですよね。


お題C-003(自由律) 雑多な単語群
適当な単語から選んで使って読め!というお題でしたね
ビシバシ風に言うと、

選んで!
使って!
読み上げるのだ!

というお題です

モーリシャスさん / 軽い魔法は着こなす感覚
モーリシャスさんの言語感覚すごくないですか?かなりすごい…
魔法が実在のことを当たり前のように扱っていて、それをさらに「着こなす感覚」という類的表現をもう簡単にやっているという…。

赤黄色さん /  国立の冷凍食品工場に反対する
これ、前半の「嫌度」がすごい確保されていて、「反対する」という行動に共感できるのがよいですね
平坦な言葉の組み合わせのはずなのに、「国立の冷凍食品工場」という言葉が「嫌だ」と結構な人が思えるつくりになっていて、
「反対する」という帰着にみんなが同じ目線で帰着できるという。

行動規範さん /  あー酢びびっ 活力は機械に似よ
これは本当に確実にはわからないのですが、もう、なんというか良かったとしか…
酢に何かを得て、活力は機械に似ようとしているな~ いいな~ と思いました


暴朴さん / は!か!た!の!酢!お!
NO

以上です 003 の感想も近い気はします
Goodでした(Card だろ)

おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...