2018年7月31日火曜日

久々!供養全全全バトル


(エアコン)

日本年金機構の運営しているサイト名「ねんきんネット」について、
"ねんきん"が "ひらがな" という点において痛烈に面白く感じて
「あり得ないくらい笑っていた」はずなのだが、ふと気がついたら「泣いていた」

カードふぉす(挨拶)

大喜利まこやす牌という(誤字ではなく、強靭な意思を持った誤字である)
大喜利の大会が開かれるのですが、
普通の大喜利の大会は「その場での結果の優劣」で結果を付けるのに対して、
大喜利まこやす牌の優位性として、「事前お題」での点数を勘案するというのが
あります。
面白い企画ですし運営者も信頼に足る面白い人なのでゼシ

URL: http://clockwork8931.hatenablog.com/ (手塚治虫の豚ピョーン)

妙子はブログを書いてくれ 面白いのだから

上記の事前お題の1つである

②対戦相手のいない「ひとり相撲」、より赤ちゃんを泣かせたほうが勝つ「泣き相撲」みたいな新しい相撲に関する神事を教えてください

というお題を考えていたら何故かどこにも出しようのない、
「かなりクオリティの低いオカルト板の書き込み」みたいな長いやつが出来ていたので
供養するブログを一応記事にしました

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奴(やっこ)

中部地方に見られる子供の遊び。2名からなる競技者は、それぞれ
「風や土」などの自然環境を祖とする能力や立ち位置を使用し、
明確に奴(やっこ)の存在を発見せしめる論証を準備できたほうが勝ちである。

まずは、「「奴さん何処だ!」」 を合図として遊びが始まる。
順番に自身の推論や推挙を会話ベースにて行うが、特にどちらが先手を取るなどの
決まりもなく、その場でまず喋れるものから会話を開始する。
ただし、交互に主張を行う、というのが基本的なマナーとなっている。

会話において、特に決まりはないが、以下のような手法が
用いられることが多い。

1. 奴(やっこ)の特徴を限定していく
→奴は毎回 "別々" の何かである。それを特定していくために、
「今回の奴」の特徴を少しづつ限定していく。
例) 奴は、背が高く、物を持っている。

2. 自身の能力を付与する
→奴を特定するだけではなく、それを捕獲や懐柔することが
肝要となるため、自身に能力を付与することも一つの手法である。
明確なルールは無いが「自然」由来から成る能力を持つことが概ねである。(理由は不明である。)
例)  葬風の谷の生まれのため、「霧」の効果を受けない

これを繰り返すにつれて、「奴」を特定し「捕獲・懐柔」せしめて自身の陣容に
加えたほうが勝利となる。

重要なルールが2つある。

1. 奴を殺してはならない。
奴はかならず生存した状態で手元に置かなければならない。

2. 奴を「実在」のものに特定してはならない。
奴を特定した場合でも、その人物は「架空」のものであることが前提となっている。
もし、特定してしまった場合、「その人物」の関連する何某かの護力により、
「競技者に不幸がもたらされる」


なお、両ルールに抵触した場合、競技者は最善の場合でも "自身は"死ぬ。
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書いていて色んなルールの曖昧な齟齬や不明細に腹が立ち出来が悪いと思っていたら
ここからの「競技」の展開性を書く意義 というのが大いに失われているような気がして
これから本来は「競技」をした場合の例をザラリと書こうと思っていたのをやめてしまった。

じゃあなんでここに上げるかというのは
この「遊び」が「遊び」としてまだ生きている 気がしたからです

ルールや設定の稚拙さや、「怖み」や「神秘み」という、ものをかくに於いて
ヌルワリと人を引き込むための大要素をガソっと欠落した失敗ものだったのですが、

「遊び」としてはまだ面白いかもしれないと思ったわけです。
論ずるバトルとして「自身」を大きく見せて能力を増やしていく競技性は少し
ゲ~ム感 あるな と思って

ただなんでこんなにも
「オカルト性」とか「神秘み」を出すのが下手かね????????????
という点はめちゃくちゃ恥ずかしくなってしまうので「書き」、「書きモノ」を練習したいですね

(エアコン)

以上です。このブログに前回からエアコンが設置されたので涼しいと思います
(終わ)

2018年7月20日金曜日

かき氷


つげ~暑い
(でかい風鈴が溶けている絵)

カードです(省エネになってしまう)

(夏ver)
暑いと文字を涼しげなものだけ分けて
涼やかなブログを心がけています。

(通常ver)
暑いですね。こう暑いと考慮は減衰し、理由を吐露する必要がなくなる。
石板(ブログ)に放言する際も、極力「言語」を選択し、
涼しげになるようにしたい、という思いがある。


いいね、夏ver!!!!!!!!!!!!!!涼しいぜ

文字の涼しさを特に心がけて、行くぜ、カードの夏

崎山くんの曲が iTunes Store など、色々なメディアで聞けるようになりましたね。
「五月雨」と「夏至」という曲で、この時期にぴったりですね。

この前ブログで「暑いときは上を向け」みたいなことを偉そうに書いたけど
そんなレベルじゃない暑さがおそってきてどうにも終わってしまう。

ただ、暑い中で町を歩きながら崎山くんの曲を聞いているとなぜか暑さが気にならない。
暑さはもともと自然であって、体で受け取れる成分なような気すらしてくる。

だめだ もっといろいろ書きたいんだけどもう書けない

だめすぎる
 
夏ver だと言葉が限られてしまってすごい頭がわるくなって伝えられることも伝えられない

ということで、しゃべれる季節にお会いしましょう

エアコン

2018年7月17日火曜日


オリンピックがあるので、ネット通販を自粛して欲しいらしい

声「は?なんで勝手にそんなことされなきゃいけないんだよ」

声「オリンピックなんてやってくれなんて誰も言ってない」

声「経済効果を縮小して何がオリンピックだよ」

声「もはや災害」

声「外に歩けない人がネット通販にどれだけ助けられてると思ってるんだよ」

声「負担ばかり強制して、最終的には大赤字になる、オリンピックいらない」

…良くない?????????????
いや、良くないですか???????????????
確かに勝手にオリンピックを開催されることになり、負担を諸々強いられているのは重々承知です。
それに関する不満感は確かにゼロとはいいません。
ただ、ただ、個人の感想ですが、別に許容する方針で考えませんか??????????

だってさ、仕方ないじゃない。オリンピックが開催されることは、東京都の戦略であるわけで。
東京都が課している、例えば税金等を、「強制されるのが納得いかない」と言って払わない、ってことは通らないシステムでしょう。
だったら、東京外に出ていくしかない。これは東京と言う地に住環境を構えるために必要な共有事項ですよ。

なんか、なんというか、否定的なスタンスを取ることを「正」とした生命組織が多くいるように感じてしまう。
みんなが出来る限り是認して、協力的に物事を進めれば、超大規模なオリンピックというイベントが成功するであろう状態なのに、
なんでそこで、「失敗すればいい」みたいな諦念的な考えを持ってしまうのだろうか…?
世代や世相を反映している面は大きいのかもしれない。
我々(20代)には、「成功体験」というか、我々の協力において政治や国家や組織が恩恵を得て、それが我々に実感できる形でフィードバックされる、という経験がない。
そのせいで、ただただ負担だけを強いられていて、我々が辛い思いだけをするくらいなら、なんとかそれを回避する方向にならないか、という方向で声をあげる、ということが唯一の社会に反駁できる手立てとなってしまっている。

こうして反対活動を続けて、オリンピックが失敗して損失を発生させたとしても、なんの国益にもならないじゃないですか。
オリンピックと言うイベントを東京で開催成功させて、国際的なメンツを保ったままにさせたほうが、絶対にいいはずなんですよ。

なんというか、ひとまず否定的な声上げようって層が少なからず存在してしまい、「理の無い論」が散見されるのが納得がいかないですね。


>「五輪誘致で経済効果!」
> 五輪のために経済活動を自粛させるとか本末転倒やん
明らかに規模が違うでしょ ネット通販による経済効果とオリンピックによる経済効果で、
どちらのほうが規模が大きい?ネット通販のほうが経済効果が大きいならずっと国家的戦略で
それだけやるよ しかもネット通販は一部企業にしか実入りが無いわけだし、循環的な経済効果もオリンピックより期待が薄い
また、ネット通販の開催期間中の"完全規制"なら、
全般的なネット通販による経済効果を停止させることになるが、
あくまで「自粛」にしか過ぎない
オリンピック開催に於いてインフラ・交通が麻痺しないような保険を打つにすぎないでしょ


>「オリンピックなんてやってくれなんて誰も言ってない」
事前アンケートでは都民の6割強が賛成していました。
ただ、その後の対応の流れによって不信感が増しているのは否めませんけどね。
その不信感も、別にこちらが協力すれば解消方向に動くことがほとんどなので、
あくまで協力的に居たほうがいいと思うんですけどねぇ。

だめ?どうしても許容できない?
そうかぁ・・・
でも、許容できなくても、相互的に無視する関係ではいられませんか?
なんで声を大にしてバッシングしてこき下ろそうとしてしまうんですか?
別のこのネット通販も強制停止ではなく「自粛」の呼びかけであるわけですよ。
無視すれば済む話なのに「ネットで騒いだり」「購入しまくろうと扇動したり」する必要はなくないですか…。
明らかに過剰反応に見えるんですけどね…。

実際、オリンピックが失敗するより、成功したほうが、「国」として良いのに、なんでそこまで失敗を祈ってしまうのかが辛くて仕方がない。

あーどうすればいいんだ
オチが無い

ザハ・ハディド

2018年7月6日金曜日

もうゼル

Twitter の下書きに
「急に60歳年をとったらおじいさんのスプラトゥーン で人気を博すのにな」
という書き込みが気づいたらあったのですが、
過去の経験、戦争や貧困、そして繁栄を知らない老齢なんて、最も無価値だろ
アイコンとして老齢を使うな

よく過去の下書きにこんな思うところがあるな 多重人格か????

カードよ~(挨拶)

思うんですが、ゼルダ休暇が欲しいですよね。
え?

幼少のころにやったゲームが人格の形成をやや占拠するという話は前回しましたね。
って前回の記事がまだ下書きに入っているじゃん!!!!!
という持論のもと、自分の人格の幾らかはゼルダでできています。

つまり!!!!!!!!!!!!
ゼルダの伝説が好き

検討が下手かよ
普通「好き」から導入して「理由」に行くだろ

ゼルダ休暇が欲しいですよね

ゼルダ休暇が欲しい

何故そう思ったかと言うと、購入したけれどまだ未プレイのSwitchのゼルダの伝説が存在するからです。

やればいいはずなんですよ。平日や休日にゲームするなんて当然行動なわけですし

ただ、ここで問題は
「ゼルダが好きである」ということです

普通、好きであればやるに関わる熱量も高く、すぐにプレイし、クリアしてしまいそうなものです。
自分もすぐにプレイをしました。
が、最初の操作説明的なのに差し掛かろうとした瞬間に思ったんですよ。
これ、かかるな…………………………と。

いいんです。長いプレイ時間が確約されているのはとてもありがたいことです。
でも、セーブ、中断をはさむことによって、「あれ?どこまでやったっけ」というおさらい的脳の動き、ありますよね。
理由によりかなりプレイできない日が続くこともあるでしょう。そんな形で「大好き」コンテンツを浪費するのが、
もったいなすぎる!!!!!!!!!!!!!と思ってしまい、貧乏性が出てしまっているわけです。

というわけで、
一気に、感動や熱量の分散がなくならないように、
一気呵成にゼルダをクリアしたい。
(クリア、というゲーム用語が定着しすぎていて、他の概念を"クリア"とするボケをよくするのですが、
例:ココアをクリアしちゃおうかな(ココアを飲む)等 そういうボケのつもりで書いたが、これは普通に"クリア"だったな…)

休暇が必要だ、休暇だ(単発で言ったが、アニマル浜口が連呼する気合いだのすべてに相当する熱量がある)

つまり!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ゼルダの伝説が好き

検討が下手かよ

2018年7月5日木曜日

壁ぬガメラ

あれ?石板(ブログ)要る??????
このブログって要るのか?????????

表層的な部分を言語化したところで、「手の内を晒すだけ」だったり
「浅慮な考察で他人を傷つけたり」「厄介なことを考えていると思われて近しい人から忌避されるようになったり」
「考察や言及が不要なようなコンテンツに口を出して野暮なことをしてコンテンツの味を奪ったり」
そんなようなリスクが付いて纏うだけで、なんらいいことがないじゃないか?????????

と思ってしまって、こういう石板(ブログ)の存在意義を疑ってしまう。

何をもって存在する理由があるか、を見出すのが難しい。
許容意見や参賛同意見、肯定的意見があまり見当たらない、というのが不安のひとつだ。
ただ、それをもって意義にしていると妄信的というか、一方を見た状態でしか進めなくなってしまう。
ときには否定や対向意見が見えて、それを検討するということは非常に有義と思うが、
そこまでの発信力も無く、そこまでの建設的な案や破壊的な案を出せているわけではない。
いっこの物事を表面的にすくって思うことを投げ言う口だけだ。

このブログの存在意義を疑う前に、その有為性を見出すためのコンテンツ力をつける努力をしなければならないな。

それが存在意義であり、こちらのできることであり、必要努力でありプラス労力である。

スシ食いねぇが「寿司食べたいなぁ…」という思い発進で作られた歌だったら、
「なんかイヤ」じゃないですか?

カードです。

発散だったんかい!となりますよね

------
(寿司食べたいなぁ…)

「トロは中トロ小肌アジ!!!!!!!!!!」

ようし、これはいいぞ
------

なるかい!発散すな、雑な歌詞で、そしてアイドルソングとしての体で

ただそんな事実はないのでこれは単なるイチャモン

カードゆれ(挨拶です)

今日は書くことに困ったので某銀に意見を聞いたら「芸人」という職業について書いてくれとありました。
ありがとうございます。「そう」します

「そう」するかをゆだねられ「そう」する場合「そう」に込められた意味合いの多さ~~

芸人という職業ねぇ。難しいナー。
人それぞれ、求める像が違うというか、芸人という言葉に「どうあったら芸人」という決まりがない以上、
みんなが「何を求め」、芸人になっているのか、という点次第で見え方が変わってくるというか。

先般書いた「趣味」の記事で、MTGのカテゴリ分類がやっぱり凄かったのでそれを踏襲してみよう。
前回はMTGの既存の考察方を引っ張ってきたので、単なる引用考察だったのですが、今回はその素材を使わず、独自考察をしてみようと思います。
適当に考察するし、別に芸人さんに造詣が深いわけでもないので、
何か不愉快にさせたり、間違えていたりしたらすみません。
でも、そういった点はこの表をもっと良くするために指摘をもらえると助かります。

なお、名前は響きだけでつけていて、音だけでつけており、意味が通っていない。
そこは適当を受容していただきたい。

芸人になろうという人は多くのタイプに細分化される。
なお、以下の細分化のうち、どれかにカテゴライズされるわけではなく、
それぞれの要素を少しづつ持つ場合などがある。

1. フェイマー(有名者)
テレビやライブ、もしくはインターネットにおいてとにかく有名になりたいという欲求がある。
これには、戦略的にネタ作りをしたり、環境に適合するために流行に敏感である場合などが多い。

これはさらに細分化されて、
1-1. ガッター(獲得者)
お金を稼ぎたい、異性にモテたい等、何か特定の立場や権力、資金等を得ることを
重要としているタイプ。

1-2. レジデッド(戦略者)
テレビに出ることにより、自身の承認欲求を満たすことを重要としたタイプ。
戦略的に行ったことを評価されることを喜ぶタイプが多い。

1-3. ガン(挑戦者)
テレビやメディアに露出している先駆者の能力に疑問を覚え、自身がそれよりも
優れているということを誇示したい、ということを目的としたタイプ。
特に既存の人と同じフィールドで戦いたがる。

これが、有名になりたい部類の人々のタイプ検討でした。

続いて。
2.パフォーム(道化者)
テレビやライブ等、表現媒体によるこだわりはなく、有名になりたいというよりは、
自身の表現することのサポーターが特に増えて欲しいと思うタイプ。
最終的な目標として、大規模人数を巻き込んだ単独でのライブ等、自身の表現を受け止めてもらう土壌を特に欲する。

なお、このパフォームは以下のように細分される。
2-1.レジスト(適合者)
自身の表現の土壌を作るためには、一時的に戦略的に自身のネタの方針を変えたり、
大衆に少し迎合することを検討することを厭わない。
そこを入り口として、自身の表現したいネタにシフトチェンジしていくことをなどを、
考慮的に行うタイプ。

2-2.ネジ(鋼鉄者)
自身の表現を大衆に迎合することを一切良しとせず、一貫して自身のストロングスタイルを貫いて表現を続ける。
そのスタイルを好んでくれるサポーターが増えてくれればいい、と思うタイプ。

2-3.キックス(掌握者)
自身の固定的なネタやトークのスタイルを持つことなく、流動的に存在することを自身のスタイルとしている。
特定のファンや自身のサポーターを笑わせたいという意思よりも、その場その場にいる人を楽しませることを
おおきな目的としている。そのため、その場で求められる柔軟性や即断性が伴っている場合がある。
レジストは自身の表現するひとつの「スタイル」を見てもらいたいために、「キックス」を演じるが、
「キックス」は最終的な目標も「キックス」であり続けることで、とにかく万人を、その場を笑わせる存在でありたいのだ。

2-4.クローズド(内熱者)
お笑いを始めた当初は、自身の表現のサポーターを欲していたが、いつしか芸人間での評価というものが
最も優先度が高くなったタイプ。とにかく、芸人を笑わせたいという気持ちが強く、上に対する挑戦心が高いものもいるが、
とにかく内々を笑わせたい気持ちだけでとどまっているタイプの2通りいる。
例えば、楽屋でキックスを行い芸人内を楽しませるタイプや、芸人のためにネジを貫くタイプがある。

という感じだろうか…。あまりしっくりこないけど…。続いて。

3.カブキ(道楽者)
フェイマーやパフォーム等の、前段の性質を含む場合もあるが、ただ大きな確たる目的があって
芸人活動をしているわけではない。居心地がよかったり、自身が出来そうだったり、楽しそうだったりと、
自身の居場所を芸人活動によって確保しているタイプが多い、と言えるだろうか。

これも細分化してみます。
3-1.ライド(無骨者)
お笑いが好きでお笑いをしているが、特に確たる目的は見つからず、社会生活を行える自信もないので、
受動的にお笑い活動を続けている場合。手に職がついたり、ある程度の社会生活を行える目途が立った際に
お笑い活動に見切りをつけてしまう場合も多い。

3-2.ゴースト(無機的浮遊者)
お笑いが好きで、お笑い活動を継続しているが、確たる目的は無く、目先の安寧のためにお笑いをやっている。
とにかく楽しいことが大好きで、お笑いも大好きであり、その先の未来のことなどは刹那的な、道楽的な考えである場合が多い。
ゴーストであり続けたら、自然と売れる、というパターンもあるが、多くはテレビ活動は「出来たらいいな」と考えるも、
能動的には活動できるものの、戦略的に動くことは難しく、とにかく「機会」を考える暇なく与えてもらえると輝けるタイプ。
ただし、楽観的主義で楽しさ前提主義なので、それが崩れると破裂してしまう場合がある。

3-3.エンティティ(協力者)
自身の表現する「お笑い」を構成する要素として、「他の芸人」が不可欠である、などの理由から、
自身が売れるよりも、「他の芸人」が売れることを悦びとするタイプ。
自身はお笑い活動を継続できればよい、という安穏的な考えのタイプが多く、
周りのお笑い芸人との関係が継続でき、表現活動が継続できることがもっとも重要なのだ。

3-4.コミナイト(友好者)
とにかく、「お笑い」が好きであることから、「お笑い」をする人々が大好きで、
「お笑い」の世界に居続けたい、「お笑い」の友達を持ち続けたい、というタイプである。
一般社会人が、同様の性向を持つことは極めて少なく、賛同者となれるのが「芸人」周りであることより、
芸人であり続けることをやめられない場合が多い。ただ、固有で「深い結びつきの友人」や
「今後の友好が確約されたような、お笑い内でも嗜好が共有出来、尊敬できる友人」を確保した上で、
社会的な仕事を見つけてしまうと、芸人という立場から踏ん切りをつけてしまう場合が多い。
構成作家や、お笑いの広報やライター等で関係を継続する場合も。

という感じで考えてみました。
各自の性質等を鑑み、芸人という職業について検討しますが、
僕個人としては1 のフェイマーとしての性質はまったく共鳴しないもので、
自身の面白いことを貫いているネジの人や、あとはゴーストの性質などが共鳴しましたね。
あとは、「キックス」の立ち位置をやることが多いので、キックスであり続けたいな、とは思います。

って、お前芸人じゃねえな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


誰かって?

カ~~~~~~~ドですw

死にまーす

おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...