2018年4月24日火曜日

ずっと犬が降ってる

ついに、おかしくなってしまい、「ピリ辛ラーメン」が特に面白く感じるようになってしまった。
面白くなくなるまで面白がって、普通になろうと思う。

全部言うぞ!

・ピリ辛って、個人の尺度だろ!!!!!!!!!!!!自分で思った感想じゃん!!!!!!!!!
・少し辛いって中途半端すぎるだろ!!!!!!!!!!!!!それしかない店やばいだろ!!!!!!
・誰が考えたんだよ!!!!!!!!!!!!!そもそも!!!!!!!!!!
・広まるなし!!!!!!!!!!!!!広範囲にこの言葉行き渡るなし!!!!!!!!!!!
・"ピリ" て!!!!!!!!!!!!!!!!!いや "ピリ" てあんた!!!!!!!!!!!!!
・"ピリ" と来て、一文字で"辛" て!!!!!!!!!!!お前面白いな!!!!!!!!!!!!
・"辛"のあと"ラーメン" て、どうでもいいけど ラ 重なっちゃったよ(笑)
・俺以外誰が頼むんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!

あ・・・面白くなくなってきた・・・・
この作業とてもいい・・・・

ピリ辛ラーメンに、もう思うところはない・・・・・・

上記の情報が一斉に襲い掛かってきて、「ピリ辛ラーメンw」とウケてしまっていたわけで、
いまはなにもない。

「ピリ辛ラーメン?」としか思わなくなった。人間は怖い

ばか両津もん

町田康の「夫婦茶碗」の前半を読んだ。読んだので、感想を書くという当然をやる。
当然をやらず、脳に情報の新幹線が通過するのをひたすらに無為にやり続けていた。
本当に無為で、そんなことをするなら情報を摂取せずにコンテンツ浪費を行うのをやめればよかった。
無為にコンテンツを消費していくことへの 惜しさ を最近身に染みていて、面白かったものの初回の感動は二度と戻ってこない。
こんな訓戒は往々にして皆が通り過ぎた、3つ目くらいの駅だったと思うのだが、自分は特に最近これを思うようになった。

というのも、面白いコンテンツが散在しすぎて、脳内メモリが不足しています!というエラーが出力され、気づいたら 日常の雑情報がそれらの面白いコンテンツ記憶領域に侵食し、勝手にbaidu のような毒に近い日常雑だけが脳にインストールされ、面白記憶がゼロになってしまい、零 ZERO になってしまい、零 紅い蝶 になってしまうからだ。
自分の脳を過信しすぎていた。10代後半の自分は本当に天才ですべての記憶をすぐに記憶し写植し、なんたって生活や食事や移動までできたのだ。電子メモ ポメラ などには到底出来えないことのすべてをやってしまっていた。
ところが、20代を過ぎたあたりから、どうだろう。仕事の記憶が「消せない領域」という、桃鉄で言う「農業カテゴリの物件」みたいに頭に在り続けるではないか。
こんなことで自身の脳領域はすぐに限界を迎え、いつしか、数日前のことや、人々のことが思い出せなくなってしまったのです。まる。しかく。さんかく。ろっかく。ねじ。

なのでいまこうつらつらと書いている際に思いましたが、みなさんにお願いしたいのは「私の記憶の代替」になってくださいということです。
これは本当なので本当だと前置きして本当のことを言うのですが、記憶がやけに希薄なところがあります。異様なまでに記憶力がなく、皆さまと遊んだりなんやりしたことのうち、自分は記憶がほぼないことがほとんどですので、「記憶の代替」になってくれて こんなことありましたよね と言ってくれると ああ、そんなこともありましたね!!!!!!!!!!!!!!!!!と叫んで爆ぜれるのでとても良い。
お手軽な爆弾や風船の類だと思ってください。深刻なことでなく単純に「日常のことを覚えていないことが多い」という特徴の話なり。これからも皆さんよろしくお願いします。

違う!!!!!!!!!!!夫婦何某の感想でした。

話の端は何のことはない夫婦、といっても少し特殊な、ろくでなしの食い詰め男がぼんやりと社会に文句を言いながら暮らしていく、という堕落的で退廃的でどこか反社会的なシンパシーを感じるようなコンセプトなものです。
前半は特に駆け抜けるようで、ひたすら文章を書くにあたって、今までに「無い」ことをやっていっている。今までに「無い」というのは、多分マナー的に、"国語"のマナー的に、学校では大きな赤いバツがつくようなことを「表現」として軽やかにやっている。
人様にお見せする文章で今までに「無い」ことをやっちゃダメだろということを排除して爽快に進んでいく。森や山を草原と同じ速さで直進している。こんな楽しいことはない。
あまり小説を読んだことがないので、「小説」というジャンル内においては、こうした自己表現のアピールが許容されており、みながみな競って自己的特殊表現を見出して、"新(あらた)"を常にやる、というカテゴリかと思い、そう考えるとこの作品のみでの突出性を見出すのが難しいなり考えていたのですが、違いました。
それは小説を知らな過ぎただけで、こんな特殊な文体を好き勝手コミカルにそしてパワフルな文でやる人はおらへん。おりはらへん。いはらへん。おりひん。おりはるこん。おりはらへん。おりはるこん。

というわけで特にその序盤の「特異的表現」を咀嚼してむしゃりと食べたのですがとても良なことがわかり報告にあがった次第です。

主人公である「男」は、職もない。女房より金のあてを常々問い詰められている立場だ。
普段、家事のそれぞれは男も行う。ふと思い立つ。これが生業にならんもんか、と。
天下の往来できんぎょ売りや豆腐屋の声ならぬ、茶碗洗いが声をあげる。「ぇ ちゃわうぉっしゃ~」
これでは狂人が奇声を上げているのみだ。
ふと縁があり、男はペンキ塗装の日払いの仕事にありつく。ときに快調に塗りの極意を得心したように思考が駆け巡ったかと思えば、
すぐにその意欲もしぼみ消え、もっと創造的な仕事はないものかと嘯き、すべてを放棄してみたり。
あくる日はペンキで稼いだ銭で冷蔵庫を妻に買い与え、ひたすら卵の並びに執心し頭がおかしくなったようになってしまったり。

ひたすら爽快に、戦車のように「駄目」をやっていく。
その快進撃だけでも爽快なのに、その書く文はポップでコミカルで新たで、ユーキャン新語・流行語大賞をやっている。
これは涼やかだし、パワフルであり、楽しく読めた。急に童話作家になったあたりで理解が追い付かなくなって、ぐるナイのゴチの STOP! の手を置いて読書をやめた。

ただ、自分は思ったが、これがすべてやりつくされたかと言われたらどうだと思うところでもあるし、似たような小細工ならこちらでもできるぞという思いもある。

文を書き、新たをやる。これはとても楽しそうで、こういうことがやりたいという思いもあるが、その先進性や面白み という理解力があまり自身に備わっていない。それは今までに読んできたものがあまりに少なすぎるから、その界隈で食傷された文脈や題材という範囲までの理解が追い付いていないからだ。
ひたすら先般を無視して、勝手に思う 新た に突き進むもよいが、それをやって、出来た ブツ をとっ捕まえられて「これは〇〇に似ていますね」と言われたのであれば ちびまる子ちゃんのアニメのどよ~んのした SE+効果音 アア~ア(ぼんよよよ~ん)が鳴ってしまい 終 となってしまい、前につんのめってずっこけて泥を食ってしまう。

そういうやつ。
まあ、ということで何かを見たり読んだりしたら 評ずる ことと それを自身の記憶の代替とする ということの優位性に気づいたので、これから、それはひたすらやろうとは思う。
この前、カラオケでボードゲームをしていたら、隣の部屋で1人でどぶろっくを歌う女の人がいました。
"豪傑" という名詞を久々に使えるな、と思って嬉しくなりました。おわり。

2018年4月18日水曜日

炎の天下だ!!!!!

靴が臭いんじゃなく世界が臭いんだ!!!!!!!!!!!
カードです。

あばれる君と友達になりたいね。

祖母が亡くなりました。年齢でした。
やっぱり、「思って」しまうものですね、色々と、「思って」しまう。

これ(カード)はとても心が脆いもので、「思って」しまうまい と「思い」、
自ずと距離が遠ざかっていきました。
辛いという思いは特にないのです。既に自衛を張っていたんです。
非情なことですけど。それは、あまり「思わない」ように済むように、あまり会わないでおこうと、考えたんです。
というか、仕組み上「死別」ということが回避できない以上、そこに受けるダメージを
最小限で済むためには、「死の爆風」から限りなく遠ざかっておくことに他ならないかなと思うんですよ。

思い出すのは、親泊さんの失踪のお話がかつてありましたが、あれがとてもよくわかるんですよね。
とにかくすべてがワーーーーとなってしまい、耳の中で音のないシンバルが鳴らされた!!!!!と思い
頭がクウウーーーーーーーーーとなり、うどんを1玉飲んでしまった!!!!!!!!!!というくらい喉がつかえることが。
なんか春ごろに、まれに起こりますが、特に最近はないですね。

まあそれはそれとして、人に迷惑をかけたくないわけですよ。
とにかく自分は脆弱で脆くて横暴で自分勝手で利己的なものなので、
アッーーーーーーーーーー!!!となってしまったら、他人によりかかって倒れてしまう。
本当にこれが多い。よりかからせてもらったことがある人がいるということは本当にとてもありがたいことで、
ほんとにほんとにほんとにほんとにライオン感謝している反面、それ以前に、自戒がとにかく脳を反芻して、思考がなくなり
「オレハ 魔人 カード… コンゴトモヨロシク…」としか言えなくなってしまう。
つまり、他者に何か介入してしまって、「迷惑をかけた」と個人的に思っていることがあると、その人が思う 1 の迷惑が
10000000000004.6 くらいの迷惑をかけたと脳内累乗されてしまって爆発的にごめんなさい!!!!!!もうしません!!!!!!ポイントがたまり、脳内教師が「お前は!!!!!!!!!!」と叱り、ひんやりした心の廊下に立たされてしまう。
人を誘うのが苦手な側面にそういう要因も少しあったりする。

なので、他者を断絶して隔絶した世界で ひらり と "在る" ことがとても魅力的に思う、血迷いドキ があるのです。

でも、結局僕カードは脆く、その側面として、他者との交流がぱたりと断たれるとそれはそれで地獄で修羅。
そこで生きるには、「修羅を生き延びる者こそ修羅」とか言い出して別人 になることを志すことになってしまう。
そんなことをするべきではないと理解しているし、やる気もなくなった。
結局、自身は虚勢と現実をない交ぜにして、他者と関わりすぎない程度に「カード」を切っていく。そんなコミュニケーションのトレードオフが必要という要素をひたすら考えている。

本当に心があり続けることは難しい。
ときには冷淡に、ときには無色にならなければいけない。
いくらでも優しくできる。手前味噌なことを言うが多分、心根はとにかく優しい。全ての人や存在においての「受容」でありたいのだが、たぶんもたない。
優しくなるためには心を傷の無いおもちのように柔らかくしなければいけないのだが、そうするにはどうにも世界は"トゲすぎる"。

こうした神経質とも脆弱ともとれるようなガラスガラスガラスハートをもって生まれてしまった以上、それと付き合っていくしかないからね。
ひたすら、無神経に、そして他者に攻撃的に生きていこう。横柄に、やくざが肩を開いてよろよろと歩くみたいに、心のやくざを出動させよう。

ああ、自分でつくった俳句ですきなやつがあった、ちょうど。季語ないかもなので川柳かもしれないけど。

・ショルダーバックごうりごうりと臭い風

こんな感じで横柄に生きるぞ!!!!!!!!!!!

 ちなみに思うけど、万一この文章を読む人がいたとして「自分のせいかもしれない」と思う人がいれば、絶対にその人のせいではなくて、「何も思わない」人がいれば、絶対にその人のせいである。世界はそうできている。


カード

各々が劇場

大変これは申し訳ない極みの話の乙女なのですが、
バーチャルYoutuber というものが大変是認しにくい思いをして苦しい思いをしています。

なんていうんですかね、今まで味わってきた感情の中で、類を見ないようなもので、
たとえば、「Youtuber」というものに対する嫌悪感は全くないんですね。というか見るし。
かといって、アニメコンテンツや、萌えパラメータ全振りコンテンツといったものも全然拒否感はないんですよね。というか見るし。

じゃあなんで、バーチャルYoutuber っていう存在がこうも NO~キツイっすNO~ なのかということなのですが、
大衆の「間隙」を突かれているような気がして、というか、これに群がる人々のすべてがもう単なる"点" 個の無い"石"、
思考を失った洗脳傀儡に思えて怖いのかもしれません。

以下は本当に勝手に、コンテンツに触れたこともない、外野が、もしかしたら全くずれたことを言ってるかもしれない、という
認識のもと、勝手なものいいをするだけなので、ご不快に思えるかもしれません。
バーYou をお好きな方は、お引き取り願えれば幸いです。その後、文句を言われても困ります。

僕には、ふとバーチャルYoutuber という文字情報や、仄見える概要を舐めてみたとき、
コンテンツの本質が見えないわけです。そこの在るものはひたすらな虚無と深大な穴であり、
賞味するほどの"旨味"はないはず。

そこに核・コアとなる対象人が存在するわけではなく、目的や核が定まっていない偶像が生み出され、
それがひたすら人間をなぞった"日常" や "非日常" をやっている。

命令やルーチンや人心が植え付けられていないロボットが「開始!」とされ、
挙動するのをひたすら見ているだけのようで、そこに有意なことを見出せません。

"日常" をただやるだけという漫画は存在します。それは目的がわかる。
ある場合は作者が書きたいことを具現化し世界が展開していくとき、それは
「作者」の妙味を食べることになります。
ある場合は仮想的な世界を創造し、そこで行われる"活動"が巡っていくことを鑑賞していく、俯瞰的な喜び。
これは、その仮想的な世界に在る "読者が存在する世界との差分" や "読者が存在する世界との共通項" などを
見出し、「世界」の妙味を食べることになります。
往々にして見出せる範囲の旨味が存在するので、"日常"をやる漫画は別に問題なかったのですが、バーチャルYoutuber の妙味はどこを核としたものなのでしょうか。
怖いですね。もしこれで根幹的な理由を持たず、「かわいいから」とかふわっとした答えが返ってくるのが。
これは、個人的な意見ではあるかもしれませんが、かわいいから良いというのは主となるストーリーやキャラクター性が存在するアニメや漫画やゲーム等の作品において共有せしめて欲しい感情であるんですよ。

めちゃくちゃ大仰な言い方をしてしまうと、「そこに存在するのが、"ある一定の思考や志を持った知的生命体"であること」を認知できる対象を好きだと言って欲しいわけです。
なんというか、誰も装着していない仮面を見て、「かわいい!好き!」と言っている傀儡が見えます。

なんというか、バーチャルYoutuber の特性と、漫画アニメとの大きな差分というのが、「一本化されたシナリオ、台詞等が存在しない」という点だと思うのですよ。
つまり、バーチャルYoutuber という役どころを渡された声優が、漫画家や脚本家という世界の支配者がない状態で、完璧にすべてを演じおおせられるかといったら、それは難しいでしょうね。
なぜなら、その声優が、「このバーチャルYoutuber はこういう性格で、こういう人となりなので、こういう局面が来たら、こういうセリフを言う」という検討を即座に頭の中ですべて理解し、完璧にしなければならないわけですから。
整理できてきたぞ。なので、僕がバーチャルYoutuber を是認するためには、以下のパターンでないと厳しいんだ。

  1. 「声優が、"完全" に "理解" し、何があっても バーチャルYoutuber の体裁を保っていることができる」
  2. その声優 = バーチャルYoutuber のキャラクター性 とされている

つまり、バーチャルYoutuber といいつつ、声優とリンクしていれば、一本化された偶像崇拝ができるのでとても納得がいくのです。朝令暮改のキリストを誰が信仰するんでしょう。

なので、「声優が好きだから」とか端的な答えが返ってくれば、「ああ、そうなんだ」とバーチャルYoutuberについてここまで苦しみながらの気持ちの整理をする必要はなかったと思います。
バーチャルおばあちゃんみたいなパターンはいいですね。「声優」がいわゆる、脚本家であるから、舵取りもできる、という。
そういう構造になっていないものが、本当に不安で、漠然とした不安で、虚無をほめている人がいる虚無という怖い虚無という虚無な不安で、仕方がない、仕方がない。

カード「本当に単なる意味不明な文だな。こんな考察いる?それ以前にちゃんとコンテンツを見てからコメントするべきでは?」

でかい足「うるせえ!!!!!!!!!!!!!!」

カード「Death」

でかい足がどうしても投稿すると言っているので、投稿しましたが、各位への不快な思いを思わせたりしたり申し訳ないという思いはあります。ごめんちゃい。

2018年4月13日金曜日

激熱かくれんぼ

狼少年という寓話は、いみじくも現代の我々にとって寸鉄となるような要素が大きく含まれている。
こうして、自分なんかは、極力人の目に触れないように、偶発的な逢瀬により遭遇した人のみ読んでもらえるよう、
このブログ媒体で適当なことや、自身の「澱」や「膿」とならないように、言葉のこぶを自由に放言していた。
つまり、自ら自発的にこの記事を読んでください!!!!!!!!!!!とチンドン屋を引き連れて、在庫のないお弁当屋に
案内するようなことがないように、という配慮を常日頃してしまうため、このブログを触れて回ることができないのだ。
どういうことか?つまり本当に端的に言うと、人生に於いて、めちゃくちゃ重要な発信事や、とても重要な宣伝事項というものが
いつしか発生すると考えているわけで、それに類しない書き物を毎回「新しいものが出来ました!!!!!」とピーヒャラすることで、
一度一度の宣伝パンチの威力が弱まってしまう、つまりこれを自分は「狼少年メソッド」と考えている。

ひいては、読んで欲しさ、宣伝して欲しさ!必読性というのを何かの指標で可視化することで、お~かみしょ~ねんになることを
防止できるのではないか、と常々考えていた次第であります。
このブログの必読性は★★★☆☆(ほしさん)です!!!!!!!ということで、
「まあ、暇だし読むか」という自己責任性をある程度担わせることにより、内容が完全的な「檸檬」のようなすばらしみが存在しなかったところで、問題ない、というハードルや利用約款をあらかじめ締結すれば安寧、と申したかった。

むろん、継続的に読み物を発信することによる、「顔の売れ方」や着々と文脈から仄見えてくる「人となり」、
パズルのピースのように少しづつ人物像が明らかになっていく具合やら、また、「毎回楽しいものを発信してくれるぜ兄貴!」といった
継続的エンターテインメント性といった、評価値のあがり方があるので、自分は先般の理論を覆してしまうが、
「当然、ものが書けたら、"出来ました" と毛筆で書いた紙を出す」というほうに優位性が強く在る、と思っています。
ただ!!!!!!!!!!それには"自信" が必要です。書き物を継続的に発信していても、全部の回において、「面白い」と思われるセンテンスが毎回ごじゃります!といった
自負が無いとそういった行動は起こしにくい、というデメリットがあるわけわけわけなんですねぇ。

そういったわけで、僕に足らないのは「自信」と「勇気」ですよねぇ。
そういう意味合いで「自薦」という行為がとても適合する気がするんです。

この前、ふと思い立ち、「おい見亭」という企画をやりました。
たくさんのすごい人(猫の断末魔さん、sudoさん、津山さん、直泰さん、しきぬくん、川村氏、わんカリちゃん、店長、PATCHさん)にお願いして、
"自身のツイートで面白いと思っていたものを紹介してもらう" という企画です。
普通、面白いツイートを紹介する場合、他薦になるのが当たり前で、手前みそな推薦はあまり見ない昨今です。
どういう毛色になるのか、全然読めなかったですが、普通に順当に面白いツイートがたくさん並んでたのしかったです。
とても面白かったので、またやろうと思いますが、やっぱり、自身のプロモーション行為は苦手だぞと思った面がござんしたね。

あと、意味がわからないと思うのですが、「潜在能力開発委員会」という放送をしました。
これは、モノマネの無能力者を集めて、ひとつ何かを開発する、という企画です。
自分も、何もモノマネが無いので、何かひとつ、と思って思い立った企画です。
オトモには千載一遇の無モノマネ、しゃぼん亭さんに来ていただきましたが、
最終的に二人で習得したのは、僕:麻生太郎、しゃぼん亭:モンスターが転送されるときの音 でした。
継続的にこれをやり続けて、こんな「薄造りの刺身」みたいなレパートリーじゃなくて、
モノマネ岩を10個作るくらいの心意気で頑張りたい。

春なのでここで記事は終わり。

春。

2018年4月9日月曜日

光る石には用はない


カーーードんにちは~ カードです
やっほ~
カードだよ

ふと思ったが、ローラが死んでしまった。
芸能という世界の異質性が仄見えることはよくあるが、マスメディアはそれを
切り売りすることを良しとせず、"実際"が見えず、忘却の果てとなってしまうことは多い。

芸能にあまり興味がない。子供のときからあまりテレビをしっかり見ていなかったためかもしれないが、
芸能人などを覚えるのが異様に苦手だ。覚えている芸能人は同様に少なく、どんどんと高齢化が進むにつれ、新しい
芸能人に呼応することができなくなって、一切のグローバル性を失った、マイノリティを攻め込む芸能の知識しかなくなってしまいそうだ。

浅薄な知識で何を語りたいんだろう。とにかく、「都合」で消えたり出たりが、衆目の中で行われる、メディアってすごく怖いなと思いました。
一般的な考えや、世間的な通念が通用せず、無理を通せば道理が引っ込むみたいなことがとにかく苦手で、メディア というものにはすべてそれを感じでしまう。

ある意味テレビのキャスティングってボードゲームで、「芸能人資材」ボード上にあるカードを、各役割に配置して、最適解を叩き出すというサイクルゲームだと思うんです。
ある一定の思惑や、事務所の方針、などを鑑みてしまうと、そういった最適解への近づき方にならなくて、とても気持ち悪いことがあります。
願わくば、すべて公正に全芸能人を鑑み、選択した結果を最適解として展開して欲しいものです。

今回の持論がよくわからないブログになっているのは、特に主張したいこともない話を無理やり広げて書いている、小学校の読書感想文みたいなことをしているためです。

ブログを書かな過ぎると、手がどんどん腐食化が進み、青錆、赤錆のコントラストで手がアメリカみたいになってしまうためです。
私はブログを書く、自意識と行動の折衝のために、放言させていただく。

はい。"坂"を最初に作った人は失敗した と思っている。さようなら。


おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...