2017年9月22日金曜日

泥濘を積むような話だ

9月15日より、開始された、はなまるうどん 秋の天ぷら定期券をご存知か。

300円でこの定期券を購入することにより、1杯のうどんに天ぷらを無料でつけられるというものだ。
つまり、最も高価な160円のゲソ天を、130円の最安のかけうどんにつけて、
お会計 130円 というトチ狂った逸品だ。2回これを繰り返すだけで、320円の得。
元が取れてしまうのだ。
"元(もと)" を取得したの、人生初かもしれないな。

しかもこの定期券、吉野家でも利用ができ、80円の割引となるのだ。
はなまるうどんで、よーし、使いたおすぞー、なんて腕まくりしてみても、
結局すぐに飽きが来てしまうだろう。しかし、このローテーションに吉野家が加わるとどうだろう。
無限割引インペリアル サーガ が出来上がってしまう。

さて、この定期券を使いつぶすつもりで、1日でおなかがすいたタイミングで任意にはなまるうどんの
最安のかけうどん+天ぷらを補給する、という生活を開始している。

ここまでの感想は、味、とか、割引率とか、そういった部分には全く感慨が無く、

「なんか、かけうどん(小) が回復アイテムになってしまったシレン(不思議のダンジョン)みてぇだなぁ」

というのみでした。ひたすら、空腹がよぎったら、かけうどんと天ぷら。ちょっとしたタイミングで
かけうどんと天ぷら。

冒険者だよ、あたしゃ、これじゃあ。
さながら最初お盆取ってセルフ配膳するときも「盾」取ったよ…、と思ってしまう。

この生活を期限いっぱいまで続けるとどうなってしまうんだろう。食事、という概念は倒壊して、
回復、という概念だけになり、かけうどん以外では回復できないようになってしまうのだろうか。
確かに、ここ最近で「うまいもの食べたいな」という欲求があまりない。

定期券に食事を壊され、回復だけが残り、冒険という目的もない死骸は、ただうすら笑うしかないよね。

2017年9月21日木曜日

スリムな味噌に壊される

PLAYERUNKNOWN'S BATTLEGROUNDS 
通称PUBG に霧ステージが追加された。
Nintendo Switch スプラトゥーン2
サーモンランというモードに霧ステージが存在する。

霧、丁度良すぎるだろ。

いや、ゲーム性だとか、そのバランスだとか、そんな話をしていなくって

世界に訪れる出来事としての「霧」、ちょうどすぎない?という話です。

例えば、これが「霧」くらいの頻度で、「毒」降ります。
その毒に直撃したら皮膚はただれ、焼け焦げ、たちまち生活が立ち行かなくなります。
とかになってもおかしくなかったわけでしょ?
さらに言えば、「霧」じゃなくて、「雲」で、その雲に人々が触れると、熱量により、
天候の生態系トライアングルが瓦解し、1年間「晴れ」が来なくなります。
とかにすることだってあり得たわけでしょ?
なんなの、「霧」って。
前が見えづらくなりますが、慎重に進むことによって回避可能です。人体に直接的な害はありません。

人為的に考えられた、なんというか、丁度いいレベリングがなされたトラップオブジェクト、
ステージ設定、みたいに思えてならないんですよ。

これが世界に実在して、すでに既存の事象として"在る"のやばくないですか?

ついでに、「晴れ」「曇り」「雨」とかもやばくないですか?

人間の生活には熱量が必要だ。もっと言えば、人間が作成する飲食物を生成するための
健全な環境を養育するには、「晴れ」が必要で、もっと言えば、たまの「雨」が必要だ。

なんだよこれ、作為的なバランスすぎだろ、ゲームマスターいるだろ空の上に。
この、人類の「生活」範囲に人知を出ないオブジェクトが存在しないのは当然わかるが、
こういった気象などの要素にも、パラメータ調整こっちでやったの?ってくらいのヒエラルキー構造が
設計されていることが、もう怖い。なにこれ。

だったらそろそろ、新気象、〇〇、でも追加アップデートしてくれよ。
自分の案は、日中なのだが、断続的に暗闇が訪れて、固有アイテムが必要となってくるやつね。
固有アイテムは、空中に打ち出す機械でもいいし、各自が手に持つアイテムでもいい。だめ?
つうか、なんだよこれ、世界。変革いつだよ。怖えよ。

いつかこの世界の常識は崩れ去り、追従不可能な変革が訪れる可能性とかが考えられすぎるだろ。

対して全力で殴ったことがあるか


松村邦洋が痩せた、

そんなニュースを見て、ふと「ああ、この世に永遠なんてないんだな」と思ってしまう。

空虚な午後を抜け出し、うすくらくなった街並みをふらりふらりとぼんやりとした足取りで縫う。
街灯に吸い寄せられる夜光虫のようにやよい軒に入ってしまう。これは性だろう、人としての。

やよい軒の無機質なドアをくぐり、ドアからの距離が異常に狭い券売機と直面する。
字は僅少である、絵が狂ったように踊られている食券機のキャンバスと対峙した瞬間、
"ポン"と小気味よい音をたてて、脳の脇にある栓が抜けて、閉じた自動ドアにぶつかり足元に落ちる。
脳がすっ、すっ、ぼっ、ぼっ、ぼわっ、ぼわっ、じじじ、じじじじ…と熱くなっていく。
俺は支配されたヤカンくんだ。その他の思考は一切排除される。
アイドリングしていた脳が全ギアに全振りになり理性などを置き去りにして、戦闘の準備を始める。

食券機に手が伸びる。食べたいメニューを考える隙もなく、やよい軒サイドがキャンペーンの広告を
いくら出そうが、脳に入り込む隙間もない。"しょうが焼き定食" のボタンを押す。
誰が何を言おうが、これが僕の最適解だ。しょうが焼き定食を踏み台にして、やよい軒と最高裁まで戦う構えだ。

いつもと変わらないブツが配膳される。まずは、すぅっと、冷やっこに醤油を微量垂らす、
「戦闘を開始するぞ」と全自分の全期間に最後通告を行う。
醤油を控えめにするのは、味の階段を作るためだ。一度登り切ったあと、低い位置にあるものを
すべて知覚するのは無理だ。順序だてて、ゆっくりと階段を上っていくのだ。
冷やっこの次は、テーブルの上にある漬物を用いる。二口、三口とご飯を進めていく。
お次はサラダだ。胡麻ドレッシングが小気味よくかけられた"それ"は、自然と味の階段を既に独自に構築している。
なれば、することは一つ。まずはドレッシングの薄い地帯を選び抜き、ご飯と一緒にいただく。
次に味噌汁をすすりこみ、ご飯を運ぶ。
サラダ、漬物、味噌汁だけでまずは1体目のご飯を撃破することが最初の任務であり、決定である。
正直、やよい軒に足を踏み入れ、戦闘のために脳の蓋が開くと、空腹という感覚がなくなる。
ひたすら、前進せよ、前進せよ、と命令し続ける脳の指令機関が体を充足させ何もかもがわからなくなる。

2体目のご飯は、残りの冷っこに醤油をさらに回しかけ、漬物、サラダのドレッシング部分、味噌汁で打破にかかる。
3体目は、生姜焼きの野菜部分と端肉、味噌汁、漬物の布陣で攻め立てる。
4体目でいよいよ本丸、生姜焼きを使う時が来るのだ。

さて、この記述の分量を見ていただきわかるように、やよい軒では戦闘の陣形、作戦を考えているときにのみ、
頭が総回転し、あとは一切の検討の余地も、イレギュラーに対する応戦もない。
オンスケで予定をこなす歯車でしかないのだ。
本来、最も楽しく、メインイベントであるべき、生姜焼きへの突入のころには、もう戦争は終わっているのだ。
やよい軒で、いつか純粋に食事を楽しみたい。Freeご飯の呪縛が解けない限り、その日は来ないだろう。

おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...