2017年3月21日火曜日

憶一(おぼいち)

最近、同年代のブログが面白くてつらい。
面白いのだが、なぜか、同年代だからかわからないけど、「背伸び」している感、というか、面白いことや知的なことを書こうとしている感 を勝手に感じてしまってつらい。

自分もブログを書きたいのだが、背伸びをすればいいのか、等身大のことを書けばいいのか、さっぱりわからない。

そもそも、あまりにこういった情報のアウトプットを自発的にしなくなって久しいもので、自分の身の丈にあった表現がどこなのか、という点をごっそり忘れてしまった。

そこで、ここでは自身の出自を振り返りまくることによって、自分のアイデンティティはどうやって確立されたのか、自我の萌芽はいつなのか、どういう立ち振る舞いが一番自分にしっくりくるのか、という点の検討をしたいと思うんだよ。みんな、そんなこと考えない?死ね!!!!

僕が思うに20代半ばって、最も自身の人格を再検討する時期だと思うんだ。
10代のままじゃいられない、という世間体や風潮がある以上、このままの性格、生活を維持していたら、立ち行かなくなるんじゃないのっ!?っていう不安が常に付きまとうわけだから。

でも、自分は結局理想なのは「いつまでも"すべて"が変わらないこと」なんだ。
だから、欲を言うと自分も変わりたくないし、みんなも変わってほしくない。
いつまでも変化がないということは不可能とわかっていながら、それを是認できない自分の側面もあるわけで。

でも、容認できる変化 と、容認できない変化、というのがある。
環境の変化、というものはすべて容認できる。仕事をはじめた、恋人ができた、学校を卒業した、ニートになった、漫画を描き始めた、やらなんやら。
こういった変化に対してネガティブなイメージを持つことは全くない。
・・が、それによって、性格や外交的な面が変化する、というのが、自分の最も苦手なことである。


何が起きようが、いつまでもみんなは昔の知り合った頃のみんなであってほしい、と思うのはわがままでしかないですからね。
まあ、ここに書いているのは、みんなへの啓蒙などではなく、単純な、自分のありたい方向性と、その宣言、でしかありません。
僕は環境の変化があろうとも、外交的や性格的な変化をすることはないようにしますよ、と。

ん~、でもここでいう性格的な変化 って、経年的な、微小な変化も伴うわけだから、
一生変化しない、というのは無理で矛盾してしまうのか…。
こんなこと書いてなんになんの?ブログってこういうこと?わからね~

最近、つくづく思ったことがあり、僕は会話が下手である。
最近、コミュ障の特徴という画像が上がっていて、自分はここまで顕著ではないが納得できてしまったので、見てもらいたい。


自分のパターンだと、切り返しについては何の問題もない。
ないが、相手が会話を開始しないパターンだと、こちらから会話を切り出す手札がなにもない。
みんながどのように、適切な会話の一手目を構築しているのか、ぜひ教えてほしいものである。
自分のやり方は、直近での出来事や、目についたニュースなどをすべて記憶し、困ったら切り出す、という手法がある。
あるが、何が適切なのか、という判断基準が何も設けられていないので、初めて会社の社長に連れていかれたキャバクラで会話することが無さすぎて"辛坊治郎の海難事故" の話をしてしまった。
大変だよね、的なことを言われたはずだが、こういうときはすでに会話の失敗 が 自身の中でもう理解できており、その反芻や自戒の念で上の空になってしまうことが大半であるため、ほとんど記憶していない。
ちなみに、その人生初のキャバクラの日は、その前の会社の飲み会で酔った先輩を解放していたら、嘔吐したすべてを被弾し、替えのTシャツとして酔っていない先輩からドン・キホーテで買った「気合」とプリントされたものを渡されて着せられ、慰労の意味でキャバクラに連れていかれたのだが、「気合」シャツでキャバクラで"辛坊治郎の海難事故" の話をしてしまい、人生で一番最悪だった日だということは間違いない。それは接客した女の人も同様に人生で最悪な一日である可能性も高い。

ちなみに、人生二度目のキャバクラは、これも失恋後に会社の先輩に連れられ、浴びるように酒を飲まされ、先輩からカラオケを歌え、と命令され、ゴールデンボンバーの「女々しくて」を歌ったのだが、自分を含めて全員のテンションが下がる、という、わけがわからないことが起こり、二度とこんな思いはしたくない、という日だった。
ちなみに、このときも会話は弾まず、「電気代がかかりにくい冷房の使い方」を話した記憶しかない。
ちなみに、終電はなくなり、タクシーで方向が同じ先輩と帰ったのだが、目が覚めたら河川敷で横になっており、しかも財布は無く、さらに当日は自分が主催で高尾山に登山する日 ということで、これも最悪だった。
人生の中で最悪な記憶が二度もキャバクラで記録されているのだから、もう行きたいと思うわけがないだろうが。

さて、一応自分の出自を辿ってみる、というコンセプトなので、自分の最古の記憶を辿ってみることにする。

みんなって、昔の記憶どんくらいありますか?
自分だけのことなのかわからないのですが、
自分には、「無性に憶えてるシーン」が多々あります。

いくつか書いて行くのですが、それって何か意味あるのか?とヤクザに胸倉をつかまれたら嫌なので言っておきますが、特に意味も山もオチもありません。イヤオです。
ただ、途中に出てくる出来事に共感を覚えてくれる人がいたり、途中に出てくるゲームを知っている人がいたら、ぜひコメントをください。
あとたけだゆうたくんもコメントください。

保育園の4歳頃の出来事。
たけだゆうたくんと、ピン状(?) というか、マッシュルームののような形をしたコマを、回して穴に入れ、自分の色を4つ並べたら、勝ち、というゲームをしている。
まだルールなどが把握できるほど知能がなかったので、ただコマを回して穴に入れて遊んで、飽きたらコマをグシャっとリセットして、という不毛な遊び方をしていました。
ただ、このゲーム気になって調べたんですけど、まったく情報が出てきませんでした。
ゲーム名をご存知の方いたら、教えてください。とても気になって仕方がないのです。
コマは赤、黄色、青、紫、緑 あたりがありました。
これが自分の憶えている最古の記憶。

その次の記憶はたぶん同じくらいなんですが、保育園で、お昼寝の時間でひたすら白い布団にくるまって、天井を見上げている記憶。保育園の片隅にある柵?のようなものがひたすら気になってしまう。気づいたら寝ている。

これを書いていて思い出したのですが、子供のころ、目をつぶっているのに、目をつぶっているところで起きていることがわかる気がして怖かったのを覚えています。
たとえば、布団で仰向けに寝ていて、目をつぶっているのに、天井が見えていて、保育園の先生が様子を見に来たら、目をつぶっている状態なのに、見えている天井に先生がニュっと出てくる、そんな経験を何度もしていたので、子供のころは目をつぶるのが怖かったのを記憶しています。この現象はもうなくなっている。

あと、子供のころ、自分は団地に住んでいて、キッチンのそばにすりガラスがあったのだが、そのガラスは人影が見えて、とても不気味に思っていたところ、夢の中で、すりガラスに人影があり、だんだんとすりガラスが透明になっていき、ピエロが現れる…というテンプレート的な悪夢を見てしまい、以降まだすりガラスに若干恐怖を覚えてしまう。

以上。サイは"居ない"(サイだから)

おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...