2017年12月4日月曜日

暗い夜を暗い夜と言える人が減っている

アース製薬の「殺虫剤」が「虫ケア用品」に改称するようだ。
そのニュースを見て、「二度とこんな製品は買わない」と激高している人が
インターネット上に沸いているのを見て「…人間ってわからない」…と、
しばらく人間界で過ごしたロボットみたいな気持ちになってしまっていました。
どうも、カードです。

今回はたけし。たけし。

たけしたけし。たけし。たけし!!!!たけし。

たけし。ビートたけし。ビートたけしがすごい。

予め断っておくと、自分は映画監督としての北野武を知らない。
なので、いち人間の、半分程度の側面だけを見て、すごいすごいと騒ぎ立てているだけの
浅慮な人間である。ただ、とにかく良かったと思うことが直近で色々あったので、いいじゃん、たけし。という話をつらつらつらとつらさせていただきたいつら。

最近、すごい、と思ったのはとあるインタビュー記事。たけしが小説を書いたときの。
恋愛、人生観を軸としたテーマから、話はたけしの死生観、生活に肉薄した。
そこから聞こえるのは、たけしの生の声。コメディアンという仮面を意識せず、エンターティナー、文人として真っ向からインタビューに向かい合った、本物のたけしのコメントが出ていた。それが特に泣けた。

--------------------------(引用ココカラ)-----------------------------
──小説執筆も新しい挑戦です。70歳という年齢やキャリアの積み方を考えてのことでしょうか。

いや、あまりにも時間を無駄遣いしたなと最近気がついたの。

そういう時って、たいてい人生長いことないんだよね。

だから自分はあと何年と考えると、やってみたいことがたくさんある。

今やらないともう終わるなって。

ピアノの練習をしたり、絵をまた描き直したり、小説書いたり。

ほんと酒飲む時間がなくなっちゃったね。ピアノは先月また新しいのを買った。

ただ、弾いてるのが「もしもピアノが弾けたなら」。情けないよ。けど、あれ意外に難しくてね。
---------------------------(引用ココマデ)----------------------------

ここが、自分も、その気持ちが痛いほどわかる部分でした。多くの人が、自己と対話するであろうテーマ。
自身の才能の"根"は何か。すぐに、絵や、歌、笑い、文、社会性。自身の手に馴染む、"才"を発見せしめた人は、その対話から抜け出していることも多いだろうが、それが見つからない人、あるいは、更に探求している人は、常に模索し続けるテーマではないだろうか。
自身が残せるもの、楽しめるもの、発揮できるもの、融解できるもの、聯立できるもの。
探しては捨てを繰り返し、自分は、手元にまだ何も残っていない。

たけしほど各方面で名を馳せても、自分と似たような葛藤を心に抱えて、老いと勘案しつつ、戦い続けている。どうにも、沁みてしょうがない。
思うが、この葛藤は、既に成した度合いは関係なく付いて纏う魔物で、心の"孤独"という病巣を常にカリカリと鋭利ではない、スプーンのようなものでやわくやわく、継続的に掻き続けられているかのような掻痒感、ないしは焦燥感から来るもので、みんな一様にして、飼っている妖魔の類だろう。

まあ、こんな小難しい話でくるむ必要はないだろう。ただ「ピアノは弾いてみたい」
「弾かずにくたばったらもったいないだろう」といった素朴な、人間の声が聞こえるのが、何とも、神格化して本質から目をそらしがちな、天才的なエンターティナー、コメディアンという存在が、一人の人間であり、一本の我々と同一の線である、ということに目を向けさせてくれた。

---------------------------(引用ココカラ)----------------------------
俺はね、芸人になったときから、年って全然気にしなくなった。

年下でも俺より年上に見えるやつもいるし、

芸人でも60代のやつを見ると年取ってるなと思うことがあるね。

冒険できないのか、しないのか、わからないけど、与えられた仕事をやって、

テレビのレギュラーを持って食えればいいんだろうと。

俺はそうならないし、それならいつ辞めたっていい。

──その一方で、同じ70歳でも週刊誌では「死ぬまでセックス」という特集も人気です。

70歳過ぎてセックスが頭に浮かぶやつは相当馬鹿だと思うよ(笑)。

もっとやることあるだろうと。俺はタップダンスの練習もするし、ピアノの練習もする。

テレビも科学番組を夢中で見て、自分で式を書き出して解こうとしたりもするんだよね。

失敗もするけど、何かやってみるんだよね。

現役の人と争ってるわけじゃなく、健康やボケ防止のためにやっているわけでもない。

面白いからでね。
-------------------------(引用ココマデ)------------------------------

ここで、たけしの死生観が仄見える。これも自分にはとても沁みる言葉なのだが、「テレビも科学番組を夢中で見て、自分で式を書き出して解こうとしたりもする」

これ、とてもすごくないですか?大人が、いつまでも鈍感で生きることは簡単だ。
これまでに培ってきた能力や経験を兵糧にして、外界の刺激にひたすら、「鈍感」であればいい。
もう、それだけで、生きながらえることは容易い。
しかし、それは、現状維持でしかない。ニーチェも言うように、現状維持とは退歩だ。
ある種、ポジティブな原状維持はあるが、人生における現状維持は、人間としての存在意義を破棄して、地球という星に在る、物体、として在り続けるだけだ。
先人たちが培っていった、化学や科学、数学といった「摂理」に対するある程度の解があることにより、それを学ぶことや、触りにいくことだけで、ある種の「理」に触れた気にさせてくれる。

たけしの、人が人であるため、人として生まれたからには、という命題を捨てることなく、どこまでも恰好よく生きていく姿に、ひたすら心が震える。

ある種、自分は鈍感になっていた。これまでに作った貯金だけで、新しい刺激を受けることなく、ある意味短絡的に自己顕示欲や結果や給金などを得ていって、漫然と生命体をやろうとしていた。
学習を放棄しても、困ることは、「生活」という軸の上では、ほぼほぼ無い為だ。

このたけしのひたむきさが、才に満ち、富も名声も得た勝者から成る余裕である、と
捉えてしまうこともできなくはない。

ただ、先ほども書いたように、「鈍感」でいることは簡単だ。
身に降りかかるすべての要素を外敵として排除し続ければいいだけなのだから。

他にも、たくさんの、たくさんの何だか沁みてしまう言葉、エピソードが、たくさん溢れていた。是非とも、みんなこんな自分の記事を読むより、このインタビュー記事を読んでもらいたいものだ。
https://news.yahoo.co.jp/feature/805

また、他にも、良いなと思ったのは、以下の記事。
なんの変哲もない、世相を斬るだけの短論だ。
もともと、バカ論という著書からの引用だそうだ。

"「飲食店で威張る奴」は本物のバカ! ビートたけしの大正論"
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171129-00533466-shincho-ent&p=1

--------------------------(引用ココカラ)-----------------------------
「おいらには昔から癖のようなものがあって、

それは、どんな店に飯を食いに行っても偉そうにできないこと。

おいらが行くと、店の人もいろいろサービスしてくれて、

『本日のおすすめです』とか言って、何たらかんたらのソテーなんて高級そうなやつを持ってきてくれる。

それはありがたいし、たいていはうまいんだけど、中には『うん? ちょっと違うな』と思うこともある。

だからといって、『こんなもの食えるか!』なんて態度は絶対に取らない。文句は一切言わない。

あれっと思っても、『ああ、おいしいね』ってそれだけ。

ワインもバカ高いやつを出されて、『値段の割には大したことない』なんて思っても、それは腹にしまって、いつも黙って飲んでいる。

つまり、客商売をやっているところに行って、ケチつけたりするのが大嫌いなの。

それはメシ屋でもソープでもどこでも同じ。他人様が商売しているところに行って、

『金払っているのはこっちだろ』なんて、偉そうに文句つけたりするのは最低だね。

ダメだったり、気に入らなければ、二度と行かなければいいだけのこと。

芸能人だからって店で偉そうに振る舞っている奴がいるけど、やめてくれよと思う。

そこで通ぶってどうするんだ。それに『芸能人は偉そうだ』なんて業界全体の評判が悪くなるようなことをわざわざする神経を疑う」
--------------------------(引用ココマデ)-----------------------------

自分には恐怖することがある。それは意見の孤立であり、≒感性の死だ。
よく、ニュース記事なんだかを見ると、まずもって思うのは「これはこういう出来事だから、これが悪いだろう。これが原因だろう。」という分析的なもの。
つぎに、その意見の賛同者や、世論を探る。
それで、自身の意見が、世間的な通念上正しかろう、という判断をもって、安寧を得るのだ。

ただ、近頃の最近、インターネットメディアの影響力の大きさやら、マスメディアの影響力の大きさやらで、恣意的な意見が、場を席巻することを多く目にするようになってしまった。

1. マスコミが報道している内容が、世間の声を誘導して、自分の素直な感想からかけ離れた世評が出回っている
2. インターネットで、ある一方を擁護したいがあまり、先行したほぼデマに近い書き込みが出て、世間を巻き込み、世評を揺るがしていく
3. 本来はひとつの出来事に対して、根幹を問うべき話であるのに、代理戦争的に、別の出来事での意見を加味して、世評が決まっていく

など。
そんな中で、自分は、「自分の意見の代弁者」を探すだけの bot になってしまうことがよくある。
そういう状況下、こうした「たけし」という著名な人が、自身と同じ感覚で、当然のことを、
当然のように語ってくれることが、うれしくてしょうがないのだ。

人間として、こうありたい、という姿に、きれいにたけしという偶像がはまってくれた。
自分の心の拠所が、安らげる赤ちょうちんの「たけし」というのれんが、突発的に見つかりました。

ありがとう、たけし。

おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...