2019年2月28日木曜日

ホバメント

すごいベタな、ベタなユーモアな部分で好きなことを共有すると

たとえば誰かを、本当は山田さんなのに「田島さん」と呼ぶこととして、
「いや、山田じゃい!」とツッコむ流れがあったとして、
それがみんなが代わるがわるやり続け、狂乱をきわめて、少し落ち着いたタイミングで、「山田さん」と呼んだら、
間違えて「田島だよ!!!」と言ってしまう、というのがすげぇ好きなんだよ

カードです(サードだよ!)

車海老のダンス、根本さんのブログがとても良かった
言葉がなくなっちゃう/http://blog.livedoor.jp/n16g-n17g/archives/78088440.html

同じく、同じくように思いているのが非常にあり共感と本当にそう…という嘆息しか出なかった良い
やっぱりあと、言葉が、本来であれば「無温度」であって欲しいのに、他者の介入により熱量を持ち出す、ということが多い

たとえば

無温度で「ハゲ」に関するボケをしたいのに、その場に「ハゲ」がいる場合に
言葉が別の文脈を持ってしまい、本来の熱量でボケを投げ入れることができない

周辺要素のせいで言葉がうつろう要素を持つ、というのは、もはや性質の話である
そもそも、「面白い」という情報も、言葉が流動的という性質を利用しているだけであり、
お題、という触媒により反応を獲得しているようなイメージで見ている

言葉がなくなってしまう、にことさらに思う思うのは、「ハンドルネーム」や個人の活動により、
「言葉が」「増えたり」「独占されたり」している

たとえば「お粥を食べたが空洞だった」というボケをしたいのにお粥さんがいるとやや言葉の硬度が下がってしまう
ただ、たとえばヒカキンという人物が存在しなかったら、「ヒカキンの亜種 甲キン」というボケもできなくなる

つまり色んな文脈が生まれ、そして独占されたりしてゆく

自分が思うのは一般名詞を名前にするのは大変なことなので自粛してくれ(別にいいです)
大げさにいうと世界の「その言葉」を独占しようみたいな話だぞ(話だぞ????????)(※別にいいです)

よく思うのは「架空のきれいな言葉」と思い検索をすると、アダルトな女優が出てくることがまれにある
アダルトが言葉をむしばまないでよ

もっと書きたいと思うことがあった気がしたのに忘れたせいでうすっぺらになってしまった
ぺらが書いている

ということでこの記事はトラッシュ(更新告知をせずに上げるだけのこと)することにして次に行こうかな

ぺらでした(ぺらじゃん)

2019年2月10日日曜日

とくめいさんと麻雀を





やった

(損なカードも、必要な気がして)

(これは、損なカードです)

ぬ力

うには貧乏(偏見)

カードばんず(挨拶)


今回、この度、こんの度行われた大会(大喜利)のものがございましたね
ございした

とにかく訓戒というか後悔というか怨嗟というか

ほらぁ(死亡)

みたいな話なのですがすごいハンカチなので(ハンカチをギニィとかみ伸ばしている表現)
何か書きます、書く可能性を捨てずにいる

本当に思ったのは、勝敗を気にするたちではなかったのですが、「何かやれるのにやらなかったこと」に後悔があります

途中(というか、1問目を2答した段階)で心がぽっきりと折れしきってしまい何もできないくぐつ(ひらがなくぐつはレア)になってしまった

もう箇条書きでいいですか、すべての感想をひらがなくぐつのように新鮮に行うのは不可能に近しい

・1問目を2回答した段階で、一切ウケなくて心が死んで真っ黒になった
→あとで松澤さんから2回答目を褒められて、「届いてたんじゃん、自分を信じれなかった・・・」となった
・むちゃくちゃなブロックなので正統派の仮面をかぶっていこうという計画でいたのですが、
「怒る」ことが必須となってしまい、その方向性に進むことができず迷子になってしまった
・画像お題で「tool」と言ったのですが、これが楽しくたくさんやりたかったのですが、
周りの回答頻度が多く番が回ってこなさ過ぎて「tool」じゃ間に合わなすぎるとなってしまった
・画像お題が俊敏に動く男の画像だったのですが、「LINEアイコンを彼女のラブラブな2ショットから急に"これ"に変えたら彼女から
LINE通話がかかってきて、「あなたの考えてることが全然わらかない!!(泣)」と言われ、「俺だってわかんねえよ!?(泣)と怒った」
という回答をしようとしたのですが、心が折れていて、踏み出せなかった、絶対ウケない気がして
(書き出してて思ったんですが、多分これちゃんとウケますね)
・3問目は力を抜いてやりたいタイプのお題で、そういうベクトルに入ったのですが、1問目でいきなり「怒る」を行ったため、
正当な脱力、に入ることができなくて、"失敗"をしてしまった
・"失敗"じゃ
・「炒飯に囲まれている」と出せばよかった

こんなところでした本当に色々迷子になって心が折れてしまった、
周りの要素に翻弄されずに楽しくやりたいのですがそれができず豪鬼(豆腐であること)

それがやりきれね~ 岩になりたかった、急に「岩」になれば勝てたのに

これは概念的な話ではなく、「実際」の話をしている、岩になれば勝ちのゲームをしてたのに

全体的な話に立ち返りますが、天下一という大会の熱量というか、「硬度」がそのまま戻ってきたのが本当にうれしい
主催とスタッフの皆さんに感謝しかない、すごかった

ということで
うどんさんとダンテちゃんの参入を待つしかすることがない
参戦ジェネレーターで画像を作るからな

あっスマブラやりたかったな、しゅごはどこにいったんだ

スマブラ~

終わマンタ


終わマンタのリングを7回くぐるとスターが出てくるマリオのやつ

マリオのやつ、て

ナハハ(乾いた笑い)

カー終

2019年2月4日月曜日

ステーキの感想A-001, B-001, C-001

カード会社のカードです(詐称)

街のステーキ屋さん、たくさんの投稿また投票をほんとうにありがとうございました。
楽しく拝見させていただき興味深く見させていただきました。
すこしの経験値より1位くらいとれるだろと思っていた驕りもありましたが普通に全然でした

本当に皆さまありがとうございました励みになります

そんな立ち位置から何を況やという形ですが、折角ですので、
街のステーキ屋さん、気になった句にコメントをいろいろしてみようと思います。
(的外れなコメントがあったらすみません><)

A-001(季語必須)

画像で1句ということで、プレバトなどでは「画像から着想を得て、句だけで完結させる」という形を正としています。
つまり、句だけを読んで、「あ、こういう光景かな?」と見えてくるものを正解としている。
画像を見ている前提の共通意識は無い状態で句を評価しているという軸なのですが、
自分の今回の思いとしては「どちらとしてもらってもいいかな」という思いはありました。
「句として単体で成立している」というものも正だし、
「画像を見た上で評価する句である」というものも正だ、としたいとは思っており、
その中庸を説明しがたく、何も説明には書かなかったです。

なので、不説明であったので、どういう体で投稿すればいいのかで迷わせてしまった方、申し訳ありません。
どういう捉え方で投稿していただいても大丈夫です。


それでは投稿された句について、思うことが特にある場合をすらりと。書きます

妖怪きのこさん
「すれ違いできない幅で夏に入る」

いいですよねえ。これ。多分、「すれ違いできない幅」というので単線である車両を表現しつつ、
「センシティブな感情」も表現している、言葉の節約というか、効率がとてもよい形になっている気がします。
すれ違いできない幅、という言葉で自身の粗をさがす人もいれば、過去の傷や他人の顔を思い浮かべる人もいると思います。

そんな複雑な思いを乗せて夏に入る、入るというのもいいですよねぇ。
夏は来る、来るものですが、そんなものに対して最終的には挑戦的な覚悟や、決心を以て夏に足を踏み入る感じ。それが晴れやかな印象に着地しています。

からかんさん
「白き日に父母人乗せる糸遊や」
糸遊をケーブルカーの比喩として使っているのですが、この画像があれば伝わるが、
この画像がないと伝わらないので、その点を表現として差し引くかを悩んだ作品です。
1. 画像があれば、読み方は固定される
雪の日に、ケーブルカーに父母人を乗せているという意味合いで伝わり、「糸遊や」という詠嘆で感情的に詩情的に終わっているところが好みである。
2. 画像がない場合、読み方が複雑だが、とても幻想的な句になる
糸遊 という言葉は「陽炎」という意味もあるようです。そして、「白き日」という言葉はとても広がりのある言葉です。
糸遊を陽炎、とした場合、季節は夏や暑い日になるため、「白き日」を冬と読まず、別の意味を探しにかかります。
たとえば、「空が白む」という場合、朝日が昇っている状態なので、
「朝日が立ち上ったと思うや、すさまじく暑く、陽炎が立ち上る。今日は父母人を思うような夏の日である。陽炎はまるでそれを示すか、もしくは嘲笑うかのようだ」みたいな感じですかね。
どちらにしろ、読みしろがあったので、色々なことには目をつぶり点を入れました。
言葉の選び方がとても詩的なので好き(うき)でした

暴朴さん
「錦秋に卑下するようなケーブルカー」
これは、「錦秋」という言葉の選び方から、更に「卑下」という表現がケーブルカーの下降にかかっているような部分がよかったです。
端的な説明だとわかりづらいので読み取った内容から言うと
「紅葉が美しい山を、ゆっくりと下る、色褪せたケーブルカーがいる。紅葉は毎年更新されるかのようにあかあかと、ケーブルカーはその対比のあおりを食らうかのようだ。
ケーブルカーは、そんな紅葉の中をゆっくりと、卑下するかのように下っていく」
という読み方をしました。「卑下」がとても効果的だったかなぁ、と思います。

かとじゅうさん
「テュポンがごと貨物列車吹雪裂く」
テュポンをしっかり調べて力強さに実感が湧いてくると、
貨物列車の足のしっかりとした進み、吹雪を割って走るさまなどが浮かんで良かったです。

暴朴さん
「鋼索のシナプスが如き夏の山」
3点入れました。本当にシナプスで適切か?という部分がちょっと引っかかったのですけども。
まあでも、接合部分を代弁させて、「シナプス」という言葉を利用することにより、少し人物像も仄見えるので。

手すり野郎さん
「この車窓
四月か五月か
分からない」
3点入れました。四月と五月を比較して差異を見出そうとする行為自体が特殊で、すごく繊細な行為に思えます。
この登場人物の中での季節感を問いたいですねぇ。「5月とは認識しているけれども、まるでこの車窓から見えるのは4月のようだ」なのか、
「あれ?今日はもう五月?まだ四月だっただろうか?しかし、車窓の景色からどちらかはわからない。まるで四月でも五月のような…。」なのか。
もっといろんなストーリー性は見えますね。ここで、「ストーリーが色々想像できてしまう書き方」について、
"物語を伝えきれない"とか、"結局、どちらでの捉え方をしたらいいのかわからない"、などとなりがちなのですが、
取り扱っている題材がとても繊細な部分なので、「どう捉えているんだろう」という本人の感情を読み取るのが楽しいので、
プラスに転じているなあと思いました。


お題B-001
「なんで身体検査の前日はこんなソワソワするの?」
季語の有無を問わずご投稿下さい。

このお題、難しかったですね。どこまでボケればいいのかどうなのかがわからなかった…。

ちゃんこフォンデュさん
「男子より 大きくなったら 嫌われる」
かなり着地としてはベタですけど、思春期で失ってしまうピュアな部分を少しでも持ち続けて、想起させられたところが収穫でしょうか。
これが1位になる、というのが、共感や着地で評価される側面が大きかったんだなあと思いました。
悪くはない句だとは思いますが点は入れてなかったですね

字引祐さん
「ふと触れる自称「身体」の不確かさ」
自称「身体」ということにかなりの自問の跡が見られていいですねぇ。
身体検査が去ったあとは、この検討もすることがないのだ、と思うと、刹那的な不安感情が詰まっていますねぇ。

ファイナルエースさん
「去年はどこかの欄に5と書かれた」
これ面白いくない?どう着地させるかは自由ですが、
「身長の欄に 5 と書かれた」んだったら大波乱の開始であり、全体的な検査の崩壊まで描けてしまっているという。
読み方で展開が変えれてしまいますが、おもしろい着地をさせたらおもしろいと思いました。

Kouさん
「繊細な聴力が明日まで持つか」
聴力をなんだと思っているんだ
すごいか弱いんですが、すごい間違っている、という両立構図が面白い

お題C-001
雑多な単語群(自由律)

このお題、個人的にはやりやすくて楽しかったです

モーリシャスさん
「優しい副流煙だよそんな顔しないで」
端的に懐に切り込むセリフで、すごい強いですね
こんなに一瞬で懐を切り込むダメージ、なかなかないな
笑顔で人を傷つけるの、ハンターハンターのパリストンみたいな「効果的な悪意」を利用していて、
かなり考えられた結果吐かれるセリフ、というのですごい良いですね
自分は「構図」がありがちな気がして点入れなかったのですが、入れてもよかったな…。

モーリシャスさん
「女が作ったロボットって感じ」
同じく優しい考慮の人の口調で切り込むのがすごい
どういう偏見なのかというところも争点も浮かぶようで楽しい

ぺるともさん
「バスが濡れててバス停は今から濡れる」
リフレインで情報を足さないことをして情報を足す、というイメージでしょうか
自由律っぽくていいですね

妖怪きのこさん
「さみしくてバス停を抱く」
こういうのが好きなんですよねぇ
感情が物体を変容させて溶け込むというか…(長くなりそうだし説明が難しいので終わる)


というところでした。楽しかったです本当ぬ

終わり(カードの終わり)

おじょるもる

(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「&q...