季節で
「余裕」がある日の夏が一番好きで、
「余裕」がない日の夏が一番嫌いです。
カードづす。(挨拶)
夏ですね。夏は、寄り添いにいくと、その熱気が体にぬっとりと、じりじりと活力をくれて、いい季節ですね。
ひたすら下を向いて、つらい日は、夏の強度が、つらいですね。
夏を休む という風潮は、とても理にかなっていると思う。
夏は、余裕を持って過ごすことで、活力に満ちる時期だと思う。
ひたすら「ワーク」をこなさねばならない環境下である夏は、ひたすらにつらいだけだろう。
さて、先日書いた。
好きなんですよ、崎山蒼志(@soshiclub)くんが。
歌を歌う人、崎山蒼志くんが大好きなんですよ。
以前書いたやつ
http://katsu-revo.blogspot.com/2018/06/blog-post_8.html
本当に好きがあふれすぎて、再度書くことが憚られない
崎山くんの大きな特徴して、その「歌詞」の独創性が挙げられると思います。
当然、歌詞であると、我々が「通常で話す言語」とは大きく異なりますよね。
ただ、更に、既存のアーティスト等が紡ぐ言葉ともまた異なるような。
観念的で、無形なもの言語化して描くようなことがとても凄いという印象です。
自分が苦手なものがあって、「歌詞」を一言一句取り上げて、「意味を考察してみた」といったような類であり、
それは意味がないからやらなくて良いと思っています。
そういう考察の線上に思考があるアーティストもいると思っているので、絶対に無意味な行為ではないと思いますが、
崎山くんに於いては特に不要だと思うので自分は、それを行いません。
そういった、切り出しでの無味な考察に興じるわけではなく、
全体的な、崎山くんの歌詞の伝わり方や、革新性について思うところを書いてみようと思います。
崎山くんの歌詞のすごいところは、そのワードセンスや文脈が常人離れしている、という点だと思います。
普通の人間が考える「文脈」は連想ワード的な要素を多分に含んでいる。
豆腐 であれば、「白い」「冷たい」「柔らかい」「メンタル」など、連想から言葉をつないでいます。
ただ、崎山君は恐らくそのタイプの構成を逸脱していると思います。
自身がたくさん「連想」したり「捻ったり」することによって綴られるような歌詞ではなくて、
思考や気持ちが、特異なシナプスや回路に直結していて、素直に感情を紡ぐだけで「独自の言語野」から、
言葉がはじき出されるタイプというか。恐らく今まで触れてきた音楽媒体の経験に基づく面も大きいとは思います。
崎山くんにおける「ことば」に対する独創性は、その紡ぎ方や構成に拠る部分も大きなウェイトがある。
「温度や空気、質感や感情」といった、センシティブなパラメータ値が言葉のキー・トリガとなってはじき出されるようなイメージかもしれない。
バナナといったら黄色、ではなく、バナナがあったときの感情や経験、温度空気、質感が、独自の言葉の引き金になっているのかもしれない。
そういうような、独自な言葉のパズルが、「崎山くんにとっての」正鵠を射た物語としてプロットされていく。
それを外部である我々は音楽に乗せて心をゆすられていればいい。
音楽に乗せて、万人に言葉を伝えようと思った場合にやらなければならないマストが自然と理解されているような気がする。
「捉え方が広いことば」で、多くの人に届くような邁進をすればいい。自然とそのやり方が成されている。
それを「手法」としてやらず、「気持ち」や「やりたさ」や「自然」でやっているのが、心地いいのである。
また、特に好きなところとして、映像を見るごとに、いろんな歌い方だったりする点がとても好きである。
「また逢う日まで」を歌った尾崎紀世彦が語った「この曲は怪物だから」「未だ自分は歌いきれて居ない」と言うような話を思い出す。
歌が毎回、同様の音程である理由などない。
人間の感覚は毎日変わる。体調が優れなくて味覚が変わってしまう日だってある。
暑い日で耳が聞こえにくかったり、周りの環境がざわついていたりする日がある。
そうした感情の掌握のために、毎度歌い方は変化してもいい。歌は生き物だ。
自身の届けたい音楽や言葉がぶれないように、歌い方が流動する。それが自然に起きている。
多分、そういうことを思考でやる人はいない。
感情や、楽しいから、歌いたいから、そうしている。
人間は感情で生きている生き物だから。
それがとても気持ちがいい。歌い方が変わることは歌を伝えよう、感情を伝えようということなのだから。
本当に言語化するととてもシンプルな根源に立ち返るのだが、
「楽しいと思って歌っていることが」、我々に伝わり、「楽しくさせてくれるのだ」。
すべてを高いレベルで執り行い心酔させてくれる、すばらしい歌たちを供してくれる、15歳!?
わけがわからなくなってきたぞ。最高すぎる
お金をためて、見に行かなくちゃ、
絶対に見に行きたいから
つまり
絶対に見に行きたいから
カードです
2018年6月30日土曜日
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