カードのこんにちはです。
本日は、ファミリーマートにて発売されていた、こだわりカレー(中辛) という商品のレビュー動画です。(動画???????)
なんといっても、うますぎてこれはすごいと思ったし、「こだわり」と言われたからには、こっちも「こだわり」しなきゃ、という話であって、
いわゆるこれは意趣返しであり、反撃であり、やられたらやり返す、倍返しだ!!!!!!!!JJJ!(じぇじぇじぇ)IDS!(いまでしょ)D、DD(ダメよ~、ダメダメ) なのである。
ということで、これはこだわりカレーにこだわりをこだわることにした、異邦人の記録になっている。
あくまで主観に基づいたメモであり、地球人と同じ味覚であるとは限らないので、悪しからずなのだ。ハム太郎の語尾がなのだだったのマジでなんなんだ
まずはこれでいきます。
1.冷温(店の冷蔵庫から取り出し購入し10分以内)
[ルウ]
口に入れた瞬間、カレーの王子様(甘口)か?????と思ってしまうほどの甘味が来る。
辛さは本当に裏側に回り、味の構造を下支えするだけの黒子と化している。
フウンとコクもつき、ひたすらちょうどよいあじを食べることになる。
個人の甘さや辛さの好み具合にマッチしている、という条件のもとではあるが最高にうまい。
[ご飯]
グミのようなぐにぐにとした触感と、つややかな舌触りが特徴。また、冷温ならではの甘味も多分に感じられ、特にとがった味となっている。まさにスナック菓子感覚でカレーを食べさせてくれるような、魔法のご飯になっている。
[総評]
全体的に味は特化型となり、人の味の好みはあるため一概には言えないが、私はこれが一番特に美味しかった。食べ物はあたたかくあるべし、という固定観念を捨て去り、新たなステップへ羽ばたきたい、という方は、是非、冷温カレーをお試しあれ。その観念に囚われているままの人は、永遠に1パターンのトライを続けているがいいさ。
続いてはこちら。
2.常温(20℃の部屋にて6時間保管)
[ルウ]
口に入れた瞬間の瞬発力は無く、最初は甘さ・辛さ・風味がすべて奥に引っ込んだ状態で
まろやかな味わいが舌の上を転がる。その後、まず甘みがふわっと舌の上に広がり、
そのあとにカーッとした辛さが追い越してくる。常温は特に辛く感じる。中辛とは思えないぐらい、ヒリヒリと辛く、とても辛い部類に入るだろう。
全体的なコクという意味では常温では多分に感じられる。
また、ねっとりとした舌ざわりのルウが口の中で残る感触がある。
とろみをつかさどっている、片栗粉的なものだろうか?これがねっとりと口に張り付く感じがある。恐らくレンジで温めるとこれが溶け出してルウの粘性を調整しているのだろう。冷温だと、これは凝固した状態で口に張り付かないのだろうか。恐らくそれが常温のみ、口に張り付く形で残ってしまう。
[ご飯]
冷温の際に感じられた甘み、グミ感というものは失われ、ごわごわとしたご飯感が出てくる。
咀嚼感や嚥下感は大きく増えるため、食事をしている、という感覚が大きくなる。
[総評]
ご飯の歯ごたえや、ルウのとろみが口に絡みつく感じから、ゆっくりとした食事になりやすい。
満腹感が特に得られやすい温度ではなかろうか。
また、辛さも強く食事のペースはゆっくりとなり、水も多く飲むことになるだろう。
特に、このこだわりカレーだけで食事を完結させたい人におすすめだ。ただし、口の中にまとわりつくルウの食後感は×。
最後にこちら。
3.暖温(600Wの電子レンジにて2分加温)
[ルウ]
冷温と比べ、ややサラサラとしている印象を受けるが、一般的なカレーの濃度を携えている。
甘味、辛味ともにどちらがとがることもなく調和し、口に入れた瞬間、甘味の主張がほんのりあった後、ふわりと辛味が舌を刺激してくる。辛味がピリと来るわけではなく、ふわりと来る、という非常に丁度いい塩梅になっている。こんな辛すぎもなく、甘すぎもなくが実現され、それが調和されている、という旨さに、正直びびり果てた。これ、然るべき器にセッティングがなされて、神保町で1020円で出されても、そこまで疑わない恐れがあるぞ。
[ご飯]
ほどよい歯ごたえと、ほどよい食感の、ザ・ベストご飯。カレーの側に最もいて欲しいタイプのご飯に仕上がっている。冷温が成すグミ感、常温が成すゴワ感とも異なり、ちゃんとした、ご飯、が出来上がっている。甘味、うまみは正直なところ冷温・常温に比べ閉じこもっているが、ルウの味を引き立てるための主張控えめ、と考えると、丁度良い塩梅なのかもしれない。
[総評]
正直、コンビニの298円程度のカレー、と思っていたのにこのレベルでびびくりはげちびり散らかしまくった。冷温で感じられた「甘味」のエッジ部分と、「辛味」のエッジ部分がちょうど折り重なり、ベストな調和を奏でている。そのエッジ部分に好みが固まっている場合は、その冷温や常温がベストな選択肢になることもあり得るが、両方が調和したこの完成品が、最も食べることを想定された状態なのだ、と想像させてくれる一品でした。このレベルのカレーがあり続ければ、QoLは相当に向上し続けるので、ファミリーマートの天才の人、ありがとう、値上げとか劣化だけはやめてくれ
正直、全体的にレベル高くてうますぎた(うまぐした)
のですが、自分は一番、冷温が好きでした。好きというか すこ な味でした。
ちなにみ、最もおすすめなセッティングは
冷温に スパイシーチキンをセッティングです。
ほどよい温度の層がバランスよく成され、味もマッチします。
最も
って文字列見ると
最上もが
を思うね
~完~
2018年2月28日水曜日
2018年2月13日火曜日
凧の向き
どうも。鉄(くろがね)カードです。鉄カード????
間違えました。カードと申します。
趣味で、とまではいかないのですが、はた、と思っては書き留める、「ホビー俳句」をやっていました。
その際には深い感情はなく、単純に新しい言葉を紡いでいく軽妙さ、また、本来は心や頭にぐるぐると滞留するはずの言葉を放言できる、楽さ。
そういったところに惹かれ、つらつらとメモ帳に書き留めたりしていたのですが、変化、変化が、来ました。
月並みですが、プレバトというテレビ番組で俳句企画をやっており、そのまとめサイトを見つけたので、その添削と俳句を見るをやったりしました。また、その流れで調べたサイトで、先人たちの動きを知る、をやってみたのですが、これは新しい言葉を紡ぐ軽妙さだけで向き合うことは損なゲームだと気づかされたわけです。
そんな軽々に、今までの俳句の歴史を冒涜したような紙切れなような句を読んでも、カスにすらなりゃしない。単なる雑データ(死にバイト)に過ぎない、と思ったからです。
俳句は、風景や情緒、感情などを17音に詰め込み、人の心を動かす、というとても比重の高いブキだと気づきました。
これはハンマーだ。小さい武器に質量を詰め込んで、ガウン!とぶん殴る。
そこにはできる以上の努力が必要で、空洞な素材を詰め込んでも、最高のハンマーにならない。
熟慮して、実際に見て聞いて触って嗅いで、居たり想ったり踏んだり浮いたりしないと、何も芯が無い。
これまで書き留めてきたものは単なる雑ものにしか過ぎなかった、と。
近頃、無味乾燥した日々を生きています。同じ会社で同じ仕事をして同じ画面を見て同じ道で帰るだけ。
少し歩いただけで、ふわ と新しい風が吹いて、新しい匂いがするかもしれないのに、それを放棄して、
机上のことばあそびをやっているだけだった。もったいない。
人の心を動かさせられるだけの句が作れるように、熟慮して、「好き」になれる何かを見つけて、
そこから零れ落ちる言葉を、書き留めたいと思います。
雑なことは、もうやめよう。自由なことはいいことだけど、雑なことは。
日々、鉄カードとして生きていかなきゃ。鉄カード?????
おわり
PS しかし、書き留めた俳句を、評価してもらうには、どういう手続きを踏めばよいのだろうか。
間違えました。カードと申します。
趣味で、とまではいかないのですが、はた、と思っては書き留める、「ホビー俳句」をやっていました。
その際には深い感情はなく、単純に新しい言葉を紡いでいく軽妙さ、また、本来は心や頭にぐるぐると滞留するはずの言葉を放言できる、楽さ。
そういったところに惹かれ、つらつらとメモ帳に書き留めたりしていたのですが、変化、変化が、来ました。
月並みですが、プレバトというテレビ番組で俳句企画をやっており、そのまとめサイトを見つけたので、その添削と俳句を見るをやったりしました。また、その流れで調べたサイトで、先人たちの動きを知る、をやってみたのですが、これは新しい言葉を紡ぐ軽妙さだけで向き合うことは損なゲームだと気づかされたわけです。
そんな軽々に、今までの俳句の歴史を冒涜したような紙切れなような句を読んでも、カスにすらなりゃしない。単なる雑データ(死にバイト)に過ぎない、と思ったからです。
俳句は、風景や情緒、感情などを17音に詰め込み、人の心を動かす、というとても比重の高いブキだと気づきました。
これはハンマーだ。小さい武器に質量を詰め込んで、ガウン!とぶん殴る。
そこにはできる以上の努力が必要で、空洞な素材を詰め込んでも、最高のハンマーにならない。
熟慮して、実際に見て聞いて触って嗅いで、居たり想ったり踏んだり浮いたりしないと、何も芯が無い。
これまで書き留めてきたものは単なる雑ものにしか過ぎなかった、と。
近頃、無味乾燥した日々を生きています。同じ会社で同じ仕事をして同じ画面を見て同じ道で帰るだけ。
少し歩いただけで、ふわ と新しい風が吹いて、新しい匂いがするかもしれないのに、それを放棄して、
机上のことばあそびをやっているだけだった。もったいない。
人の心を動かさせられるだけの句が作れるように、熟慮して、「好き」になれる何かを見つけて、
そこから零れ落ちる言葉を、書き留めたいと思います。
雑なことは、もうやめよう。自由なことはいいことだけど、雑なことは。
日々、鉄カードとして生きていかなきゃ。鉄カード?????
おわり
PS しかし、書き留めた俳句を、評価してもらうには、どういう手続きを踏めばよいのだろうか。
2018年1月23日火曜日
タックルタックル
こんにちカードです。
みなさんのご家庭に岩あります?
訳あって、親族より「ごつ盛り」というカップラーメンを異様なまでの数、
異様数(いようすう)もらいました。このごつ盛り、カップラーメン界だと、
"木こり"ぐらいの位置にある、いわゆる屈強な傭兵たちと言えましょう。
そんな傭兵たちを、箱単位でもらってしまいました。
これはもはや敵の増援です。三國無双で言うと士気が低下するやつです。
そんな増援軍が、今や「岩」として我が家に在り続けています。
もらったときは、それは「岩」ではありませんでした。単なる、段ボールに換装された食物たちでした。
開封以降、その「ごつ盛り」が層を成し、着実に「岩」となっていったのです。
開けた瞬間、GEOの福袋のジーコサッカーかというぐらいの
「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」との具合で
「「「「「「「「「「「「ごつ盛り」」」」」」」」」」」」」」」と岩ができてしまいました。
普通のカップヌードルや焼きそばUFOなどだったら、こんな「岩」来たしあたしどうしよなんて感情にはならないのですが、
「「「「「「ごつ盛り」」」」」」」」という状態が「岩」来たしあたいどうしやしょ、という気持ちにさせてくれるのです。
一度作って食べてみましたが、それはひたすら単調な味の暴力、愚直にストレートだけ投げる投手、
ピンがない状態での無限ボウリング、対戦相手のいないモノポリー、対象者のいない成人式、乗れる人のいない筋斗雲。
舌に緩急のない、金太郎飴状態の味の洪水がやってきました。
これは食事ではありません。掘削です。ミスタードリラー ホリ・ススムと化した自身がひたすら
得点の加算されない掘削を続けている様相です。
岩の掘削が終わるまで、年明けは訪れません。よいお年を。
みなさんのご家庭に岩あります?
訳あって、親族より「ごつ盛り」というカップラーメンを異様なまでの数、
異様数(いようすう)もらいました。このごつ盛り、カップラーメン界だと、
"木こり"ぐらいの位置にある、いわゆる屈強な傭兵たちと言えましょう。
そんな傭兵たちを、箱単位でもらってしまいました。
これはもはや敵の増援です。三國無双で言うと士気が低下するやつです。
そんな増援軍が、今や「岩」として我が家に在り続けています。
もらったときは、それは「岩」ではありませんでした。単なる、段ボールに換装された食物たちでした。
開封以降、その「ごつ盛り」が層を成し、着実に「岩」となっていったのです。
開けた瞬間、GEOの福袋のジーコサッカーかというぐらいの
「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」「ごつ盛り」との具合で
「「「「「「「「「「「「ごつ盛り」」」」」」」」」」」」」」」と岩ができてしまいました。
普通のカップヌードルや焼きそばUFOなどだったら、こんな「岩」来たしあたしどうしよなんて感情にはならないのですが、
「「「「「「ごつ盛り」」」」」」」」という状態が「岩」来たしあたいどうしやしょ、という気持ちにさせてくれるのです。
一度作って食べてみましたが、それはひたすら単調な味の暴力、愚直にストレートだけ投げる投手、
ピンがない状態での無限ボウリング、対戦相手のいないモノポリー、対象者のいない成人式、乗れる人のいない筋斗雲。
舌に緩急のない、金太郎飴状態の味の洪水がやってきました。
これは食事ではありません。掘削です。ミスタードリラー ホリ・ススムと化した自身がひたすら
得点の加算されない掘削を続けている様相です。
岩の掘削が終わるまで、年明けは訪れません。よいお年を。
2017年12月4日月曜日
暗い夜を暗い夜と言える人が減っている
アース製薬の「殺虫剤」が「虫ケア用品」に改称するようだ。
そのニュースを見て、「二度とこんな製品は買わない」と激高している人が
インターネット上に沸いているのを見て「…人間ってわからない」…と、
しばらく人間界で過ごしたロボットみたいな気持ちになってしまっていました。
どうも、カードです。
今回はたけし。たけし。
たけしたけし。たけし。たけし!!!!たけし。
たけし。ビートたけし。ビートたけしがすごい。
予め断っておくと、自分は映画監督としての北野武を知らない。
なので、いち人間の、半分程度の側面だけを見て、すごいすごいと騒ぎ立てているだけの
浅慮な人間である。ただ、とにかく良かったと思うことが直近で色々あったので、いいじゃん、たけし。という話をつらつらつらとつらさせていただきたいつら。
最近、すごい、と思ったのはとあるインタビュー記事。たけしが小説を書いたときの。
恋愛、人生観を軸としたテーマから、話はたけしの死生観、生活に肉薄した。
そこから聞こえるのは、たけしの生の声。コメディアンという仮面を意識せず、エンターティナー、文人として真っ向からインタビューに向かい合った、本物のたけしのコメントが出ていた。それが特に泣けた。
--------------------------(引用ココカラ)-----------------------------
──小説執筆も新しい挑戦です。70歳という年齢やキャリアの積み方を考えてのことでしょうか。
いや、あまりにも時間を無駄遣いしたなと最近気がついたの。
そういう時って、たいてい人生長いことないんだよね。
だから自分はあと何年と考えると、やってみたいことがたくさんある。
今やらないともう終わるなって。
ピアノの練習をしたり、絵をまた描き直したり、小説書いたり。
ほんと酒飲む時間がなくなっちゃったね。ピアノは先月また新しいのを買った。
ただ、弾いてるのが「もしもピアノが弾けたなら」。情けないよ。けど、あれ意外に難しくてね。
---------------------------(引用ココマデ)----------------------------
ここが、自分も、その気持ちが痛いほどわかる部分でした。多くの人が、自己と対話するであろうテーマ。
自身の才能の"根"は何か。すぐに、絵や、歌、笑い、文、社会性。自身の手に馴染む、"才"を発見せしめた人は、その対話から抜け出していることも多いだろうが、それが見つからない人、あるいは、更に探求している人は、常に模索し続けるテーマではないだろうか。
自身が残せるもの、楽しめるもの、発揮できるもの、融解できるもの、聯立できるもの。
探しては捨てを繰り返し、自分は、手元にまだ何も残っていない。
たけしほど各方面で名を馳せても、自分と似たような葛藤を心に抱えて、老いと勘案しつつ、戦い続けている。どうにも、沁みてしょうがない。
思うが、この葛藤は、既に成した度合いは関係なく付いて纏う魔物で、心の"孤独"という病巣を常にカリカリと鋭利ではない、スプーンのようなものでやわくやわく、継続的に掻き続けられているかのような掻痒感、ないしは焦燥感から来るもので、みんな一様にして、飼っている妖魔の類だろう。
まあ、こんな小難しい話でくるむ必要はないだろう。ただ「ピアノは弾いてみたい」
「弾かずにくたばったらもったいないだろう」といった素朴な、人間の声が聞こえるのが、何とも、神格化して本質から目をそらしがちな、天才的なエンターティナー、コメディアンという存在が、一人の人間であり、一本の我々と同一の線である、ということに目を向けさせてくれた。
---------------------------(引用ココカラ)----------------------------
俺はね、芸人になったときから、年って全然気にしなくなった。
年下でも俺より年上に見えるやつもいるし、
芸人でも60代のやつを見ると年取ってるなと思うことがあるね。
冒険できないのか、しないのか、わからないけど、与えられた仕事をやって、
テレビのレギュラーを持って食えればいいんだろうと。
俺はそうならないし、それならいつ辞めたっていい。
──その一方で、同じ70歳でも週刊誌では「死ぬまでセックス」という特集も人気です。
70歳過ぎてセックスが頭に浮かぶやつは相当馬鹿だと思うよ(笑)。
もっとやることあるだろうと。俺はタップダンスの練習もするし、ピアノの練習もする。
テレビも科学番組を夢中で見て、自分で式を書き出して解こうとしたりもするんだよね。
失敗もするけど、何かやってみるんだよね。
現役の人と争ってるわけじゃなく、健康やボケ防止のためにやっているわけでもない。
面白いからでね。
-------------------------(引用ココマデ)------------------------------
ここで、たけしの死生観が仄見える。これも自分にはとても沁みる言葉なのだが、「テレビも科学番組を夢中で見て、自分で式を書き出して解こうとしたりもする」
これ、とてもすごくないですか?大人が、いつまでも鈍感で生きることは簡単だ。
これまでに培ってきた能力や経験を兵糧にして、外界の刺激にひたすら、「鈍感」であればいい。
もう、それだけで、生きながらえることは容易い。
しかし、それは、現状維持でしかない。ニーチェも言うように、現状維持とは退歩だ。
ある種、ポジティブな原状維持はあるが、人生における現状維持は、人間としての存在意義を破棄して、地球という星に在る、物体、として在り続けるだけだ。
先人たちが培っていった、化学や科学、数学といった「摂理」に対するある程度の解があることにより、それを学ぶことや、触りにいくことだけで、ある種の「理」に触れた気にさせてくれる。
たけしの、人が人であるため、人として生まれたからには、という命題を捨てることなく、どこまでも恰好よく生きていく姿に、ひたすら心が震える。
ある種、自分は鈍感になっていた。これまでに作った貯金だけで、新しい刺激を受けることなく、ある意味短絡的に自己顕示欲や結果や給金などを得ていって、漫然と生命体をやろうとしていた。
学習を放棄しても、困ることは、「生活」という軸の上では、ほぼほぼ無い為だ。
このたけしのひたむきさが、才に満ち、富も名声も得た勝者から成る余裕である、と
捉えてしまうこともできなくはない。
ただ、先ほども書いたように、「鈍感」でいることは簡単だ。
身に降りかかるすべての要素を外敵として排除し続ければいいだけなのだから。
他にも、たくさんの、たくさんの何だか沁みてしまう言葉、エピソードが、たくさん溢れていた。是非とも、みんなこんな自分の記事を読むより、このインタビュー記事を読んでもらいたいものだ。
https://news.yahoo.co.jp/feature/805
また、他にも、良いなと思ったのは、以下の記事。
なんの変哲もない、世相を斬るだけの短論だ。
もともと、バカ論という著書からの引用だそうだ。
"「飲食店で威張る奴」は本物のバカ! ビートたけしの大正論"
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171129-00533466-shincho-ent&p=1
--------------------------(引用ココカラ)-----------------------------
「おいらには昔から癖のようなものがあって、
それは、どんな店に飯を食いに行っても偉そうにできないこと。
おいらが行くと、店の人もいろいろサービスしてくれて、
『本日のおすすめです』とか言って、何たらかんたらのソテーなんて高級そうなやつを持ってきてくれる。
それはありがたいし、たいていはうまいんだけど、中には『うん? ちょっと違うな』と思うこともある。
だからといって、『こんなもの食えるか!』なんて態度は絶対に取らない。文句は一切言わない。
あれっと思っても、『ああ、おいしいね』ってそれだけ。
ワインもバカ高いやつを出されて、『値段の割には大したことない』なんて思っても、それは腹にしまって、いつも黙って飲んでいる。
つまり、客商売をやっているところに行って、ケチつけたりするのが大嫌いなの。
それはメシ屋でもソープでもどこでも同じ。他人様が商売しているところに行って、
『金払っているのはこっちだろ』なんて、偉そうに文句つけたりするのは最低だね。
ダメだったり、気に入らなければ、二度と行かなければいいだけのこと。
芸能人だからって店で偉そうに振る舞っている奴がいるけど、やめてくれよと思う。
そこで通ぶってどうするんだ。それに『芸能人は偉そうだ』なんて業界全体の評判が悪くなるようなことをわざわざする神経を疑う」
--------------------------(引用ココマデ)-----------------------------
自分には恐怖することがある。それは意見の孤立であり、≒感性の死だ。
よく、ニュース記事なんだかを見ると、まずもって思うのは「これはこういう出来事だから、これが悪いだろう。これが原因だろう。」という分析的なもの。
つぎに、その意見の賛同者や、世論を探る。
それで、自身の意見が、世間的な通念上正しかろう、という判断をもって、安寧を得るのだ。
ただ、近頃の最近、インターネットメディアの影響力の大きさやら、マスメディアの影響力の大きさやらで、恣意的な意見が、場を席巻することを多く目にするようになってしまった。
1. マスコミが報道している内容が、世間の声を誘導して、自分の素直な感想からかけ離れた世評が出回っている
2. インターネットで、ある一方を擁護したいがあまり、先行したほぼデマに近い書き込みが出て、世間を巻き込み、世評を揺るがしていく
3. 本来はひとつの出来事に対して、根幹を問うべき話であるのに、代理戦争的に、別の出来事での意見を加味して、世評が決まっていく
など。
そんな中で、自分は、「自分の意見の代弁者」を探すだけの bot になってしまうことがよくある。
そういう状況下、こうした「たけし」という著名な人が、自身と同じ感覚で、当然のことを、
当然のように語ってくれることが、うれしくてしょうがないのだ。
人間として、こうありたい、という姿に、きれいにたけしという偶像がはまってくれた。
自分の心の拠所が、安らげる赤ちょうちんの「たけし」というのれんが、突発的に見つかりました。
ありがとう、たけし。
そのニュースを見て、「二度とこんな製品は買わない」と激高している人が
インターネット上に沸いているのを見て「…人間ってわからない」…と、
しばらく人間界で過ごしたロボットみたいな気持ちになってしまっていました。
どうも、カードです。
今回はたけし。たけし。
たけしたけし。たけし。たけし!!!!たけし。
たけし。ビートたけし。ビートたけしがすごい。
予め断っておくと、自分は映画監督としての北野武を知らない。
なので、いち人間の、半分程度の側面だけを見て、すごいすごいと騒ぎ立てているだけの
浅慮な人間である。ただ、とにかく良かったと思うことが直近で色々あったので、いいじゃん、たけし。という話をつらつらつらとつらさせていただきたいつら。
最近、すごい、と思ったのはとあるインタビュー記事。たけしが小説を書いたときの。
恋愛、人生観を軸としたテーマから、話はたけしの死生観、生活に肉薄した。
そこから聞こえるのは、たけしの生の声。コメディアンという仮面を意識せず、エンターティナー、文人として真っ向からインタビューに向かい合った、本物のたけしのコメントが出ていた。それが特に泣けた。
--------------------------(引用ココカラ)-----------------------------
──小説執筆も新しい挑戦です。70歳という年齢やキャリアの積み方を考えてのことでしょうか。
いや、あまりにも時間を無駄遣いしたなと最近気がついたの。
そういう時って、たいてい人生長いことないんだよね。
だから自分はあと何年と考えると、やってみたいことがたくさんある。
今やらないともう終わるなって。
ピアノの練習をしたり、絵をまた描き直したり、小説書いたり。
ほんと酒飲む時間がなくなっちゃったね。ピアノは先月また新しいのを買った。
ただ、弾いてるのが「もしもピアノが弾けたなら」。情けないよ。けど、あれ意外に難しくてね。
---------------------------(引用ココマデ)----------------------------
ここが、自分も、その気持ちが痛いほどわかる部分でした。多くの人が、自己と対話するであろうテーマ。
自身の才能の"根"は何か。すぐに、絵や、歌、笑い、文、社会性。自身の手に馴染む、"才"を発見せしめた人は、その対話から抜け出していることも多いだろうが、それが見つからない人、あるいは、更に探求している人は、常に模索し続けるテーマではないだろうか。
自身が残せるもの、楽しめるもの、発揮できるもの、融解できるもの、聯立できるもの。
探しては捨てを繰り返し、自分は、手元にまだ何も残っていない。
たけしほど各方面で名を馳せても、自分と似たような葛藤を心に抱えて、老いと勘案しつつ、戦い続けている。どうにも、沁みてしょうがない。
思うが、この葛藤は、既に成した度合いは関係なく付いて纏う魔物で、心の"孤独"という病巣を常にカリカリと鋭利ではない、スプーンのようなものでやわくやわく、継続的に掻き続けられているかのような掻痒感、ないしは焦燥感から来るもので、みんな一様にして、飼っている妖魔の類だろう。
まあ、こんな小難しい話でくるむ必要はないだろう。ただ「ピアノは弾いてみたい」
「弾かずにくたばったらもったいないだろう」といった素朴な、人間の声が聞こえるのが、何とも、神格化して本質から目をそらしがちな、天才的なエンターティナー、コメディアンという存在が、一人の人間であり、一本の我々と同一の線である、ということに目を向けさせてくれた。
---------------------------(引用ココカラ)----------------------------
俺はね、芸人になったときから、年って全然気にしなくなった。
年下でも俺より年上に見えるやつもいるし、
芸人でも60代のやつを見ると年取ってるなと思うことがあるね。
冒険できないのか、しないのか、わからないけど、与えられた仕事をやって、
テレビのレギュラーを持って食えればいいんだろうと。
俺はそうならないし、それならいつ辞めたっていい。
──その一方で、同じ70歳でも週刊誌では「死ぬまでセックス」という特集も人気です。
70歳過ぎてセックスが頭に浮かぶやつは相当馬鹿だと思うよ(笑)。
もっとやることあるだろうと。俺はタップダンスの練習もするし、ピアノの練習もする。
テレビも科学番組を夢中で見て、自分で式を書き出して解こうとしたりもするんだよね。
失敗もするけど、何かやってみるんだよね。
現役の人と争ってるわけじゃなく、健康やボケ防止のためにやっているわけでもない。
面白いからでね。
-------------------------(引用ココマデ)------------------------------
ここで、たけしの死生観が仄見える。これも自分にはとても沁みる言葉なのだが、「テレビも科学番組を夢中で見て、自分で式を書き出して解こうとしたりもする」
これ、とてもすごくないですか?大人が、いつまでも鈍感で生きることは簡単だ。
これまでに培ってきた能力や経験を兵糧にして、外界の刺激にひたすら、「鈍感」であればいい。
もう、それだけで、生きながらえることは容易い。
しかし、それは、現状維持でしかない。ニーチェも言うように、現状維持とは退歩だ。
ある種、ポジティブな原状維持はあるが、人生における現状維持は、人間としての存在意義を破棄して、地球という星に在る、物体、として在り続けるだけだ。
先人たちが培っていった、化学や科学、数学といった「摂理」に対するある程度の解があることにより、それを学ぶことや、触りにいくことだけで、ある種の「理」に触れた気にさせてくれる。
たけしの、人が人であるため、人として生まれたからには、という命題を捨てることなく、どこまでも恰好よく生きていく姿に、ひたすら心が震える。
ある種、自分は鈍感になっていた。これまでに作った貯金だけで、新しい刺激を受けることなく、ある意味短絡的に自己顕示欲や結果や給金などを得ていって、漫然と生命体をやろうとしていた。
学習を放棄しても、困ることは、「生活」という軸の上では、ほぼほぼ無い為だ。
このたけしのひたむきさが、才に満ち、富も名声も得た勝者から成る余裕である、と
捉えてしまうこともできなくはない。
ただ、先ほども書いたように、「鈍感」でいることは簡単だ。
身に降りかかるすべての要素を外敵として排除し続ければいいだけなのだから。
他にも、たくさんの、たくさんの何だか沁みてしまう言葉、エピソードが、たくさん溢れていた。是非とも、みんなこんな自分の記事を読むより、このインタビュー記事を読んでもらいたいものだ。
https://news.yahoo.co.jp/feature/805
また、他にも、良いなと思ったのは、以下の記事。
なんの変哲もない、世相を斬るだけの短論だ。
もともと、バカ論という著書からの引用だそうだ。
"「飲食店で威張る奴」は本物のバカ! ビートたけしの大正論"
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171129-00533466-shincho-ent&p=1
--------------------------(引用ココカラ)-----------------------------
「おいらには昔から癖のようなものがあって、
それは、どんな店に飯を食いに行っても偉そうにできないこと。
おいらが行くと、店の人もいろいろサービスしてくれて、
『本日のおすすめです』とか言って、何たらかんたらのソテーなんて高級そうなやつを持ってきてくれる。
それはありがたいし、たいていはうまいんだけど、中には『うん? ちょっと違うな』と思うこともある。
だからといって、『こんなもの食えるか!』なんて態度は絶対に取らない。文句は一切言わない。
あれっと思っても、『ああ、おいしいね』ってそれだけ。
ワインもバカ高いやつを出されて、『値段の割には大したことない』なんて思っても、それは腹にしまって、いつも黙って飲んでいる。
つまり、客商売をやっているところに行って、ケチつけたりするのが大嫌いなの。
それはメシ屋でもソープでもどこでも同じ。他人様が商売しているところに行って、
『金払っているのはこっちだろ』なんて、偉そうに文句つけたりするのは最低だね。
ダメだったり、気に入らなければ、二度と行かなければいいだけのこと。
芸能人だからって店で偉そうに振る舞っている奴がいるけど、やめてくれよと思う。
そこで通ぶってどうするんだ。それに『芸能人は偉そうだ』なんて業界全体の評判が悪くなるようなことをわざわざする神経を疑う」
--------------------------(引用ココマデ)-----------------------------
自分には恐怖することがある。それは意見の孤立であり、≒感性の死だ。
よく、ニュース記事なんだかを見ると、まずもって思うのは「これはこういう出来事だから、これが悪いだろう。これが原因だろう。」という分析的なもの。
つぎに、その意見の賛同者や、世論を探る。
それで、自身の意見が、世間的な通念上正しかろう、という判断をもって、安寧を得るのだ。
ただ、近頃の最近、インターネットメディアの影響力の大きさやら、マスメディアの影響力の大きさやらで、恣意的な意見が、場を席巻することを多く目にするようになってしまった。
1. マスコミが報道している内容が、世間の声を誘導して、自分の素直な感想からかけ離れた世評が出回っている
2. インターネットで、ある一方を擁護したいがあまり、先行したほぼデマに近い書き込みが出て、世間を巻き込み、世評を揺るがしていく
3. 本来はひとつの出来事に対して、根幹を問うべき話であるのに、代理戦争的に、別の出来事での意見を加味して、世評が決まっていく
など。
そんな中で、自分は、「自分の意見の代弁者」を探すだけの bot になってしまうことがよくある。
そういう状況下、こうした「たけし」という著名な人が、自身と同じ感覚で、当然のことを、
当然のように語ってくれることが、うれしくてしょうがないのだ。
人間として、こうありたい、という姿に、きれいにたけしという偶像がはまってくれた。
自分の心の拠所が、安らげる赤ちょうちんの「たけし」というのれんが、突発的に見つかりました。
ありがとう、たけし。
2017年11月29日水曜日
なんでタモリのレシピは我々を魅了してやまないのか
今日も今日とて、仕事中、ふと空いた時間やどうしても心がクウーっと息苦しくなってしまい、
フイーと地上に出て新鮮な酸素を吸い入れるために、タモリについて調べていた。
みんな、知っていますよね。タモリって。
「タモリ」と言われて、さも 「ハイパーコンバージドインフラストラクチャ」と言われたような顔をする人はおるまいて。
そう、みなさん周知のとおりのかつての昼の顔、タモリさんである。
僕はタモリさんが好きだ。理由を明文化できないが、その佇まいや喋り方もそうだが、
その取り成す雰囲気や、きわめて趣味人なところに特にぐぐぐっときてしまう。
「趣味」とはこのこと、と思うくらい、テレビで語る知識は豊富で経験に裏打ちされている。
それを安売りすることなく、ゲストがふと尋ねたことからぽろりぽろりと零れ落ちてくる
宝石のような知識のひと滴が、僕の心を掴んでやまない。
ご存知な方も多いだろうと思うが、タモリさんは料理が達者だ。
よくテレビなどで料理を語ると、そのたびに各人が模倣し、ビッグワードとなっている。
インターネットに書いてあったことなので確かさは保証できないが、タモリさんはこと料理に於いて
「グッチ祐三にはかなわない」と思っている、らしい。
確かに、本人もそう言うのであればそうなのかもしれない。こと、料理の全体的な腕だとかにおいては。
ただ、いつも界隈を賑わせ、僕らの心を芯からゆすぶってくれるのは、タモリさんの料理だ。
なんでタモリの料理が、こんなにも魅力的で、模倣したい気分に駆られるのだろうか。
多分、多分ではあるが、タモリさんのレシピには、おいしい料理のレシピ、ということばでは
片づけられない情報、多層的なレイヤでパッケージングが行われているから、魅力が深いのではなかろうか。
「ずぼら」だったりだとか「一人暮らし」だったりだとか「新しい発見」だったりだとか、
常になにかプラスアルファの情報が僕らの神経を共振させているのではなかろうか。
・タモリの焼きハマグリ
このレシピ、言ってしまえば、ハマグリを焼くだけである。
単なる「焼き方」がライフハックとして先人たちを置き去りにして、価値を生み出すって、
すごくないですか?これも、トライ&エラーの賜物、もしくは環境によるものかもしれませんが、
いかに飽くなき探求心をもって食に取り組んでいるのだろうな、とわかります。
・タモリのサバサンド
流行ったよな、これ。普段聞きなれている単語+単語でそこまで聞きなれない料理、というのが
非日常を演出していてよかったですよね。ハレ・ケ の色気の出し方が上手いんだと思います。
ちょっと、試してみようかな、という気持ちに溢れますよね。
上記に言えるように、試してみたい、というハードルの低さからなる、構成要素たちが、
僕たちを惹きつけるのではなかろうか、と思いました。
私はタモリのカレーを作るので、これで失礼します。
2017年11月13日月曜日
山に縋るみたいなことの日です
明治の冬の定番チョコである、「ポルテ」が販売終了との報が届いた。
この前には、松村邦洋が痩せて、この世界に永遠なんて無いんだ、と諦観するしかなかったところで、
こんなニュースが届いてしまうとは。
この世界は、単に生きているだけで僕らから数多のものを奪い去っていく。
若さ、ステータス、お金、情報、環境、全容。
これだけ消える悲しみが辛いのなら、何も知らないほうがよいのかもしれない。
ソクラテスさんは無知の知を説いたが、無知の一番の強いところは、知らないものが
消え去ったところで、何もダメージがないことだろう。
名前をつけて可愛がっていた蚊がひと夏の任を終え、夭折さる場合、その喪失感は
ひとしおだろうが、刹那の逢瀬しかない、ビジター蚊を招かれざる訪問客として
一打に伏すということであれば、何らダメージはなかろかろう。
「ポルテ」は、ココアパウダーがくりのようなフォルムの体にまぶされた
チョコ菓子で、中には優しいクリームがふしゅっと入っていて、ゆっくりと
舌の上で転がすと、テレテレと甘みが溶け出してくる。
いまさらですが、「ポルテ」は、チョコ菓子ではありません。
「母性」であり、「地球」であり、「浮遊」であり、「温熱」です。
この4大要素が脳を支配して、みなさんの味覚に対話を仕掛けてきているのです。
代替できるものがありましょうか?ないでしょう。
ポルテ状に胃がぐっと空いて、ちょうどポルテ分だけ空洞ができている。
僕は空洞。ポルテでないと満たせない。助けて助けてください。
違法なポルテを密造し、薄暗いマンションの一室を販路にしている、
知る人ぞ知る、裏ポルテ屋の情報を教えてください。一説にはYRP野比にあると聞きました。
よろしくお願いします。
この前には、松村邦洋が痩せて、この世界に永遠なんて無いんだ、と諦観するしかなかったところで、
こんなニュースが届いてしまうとは。
この世界は、単に生きているだけで僕らから数多のものを奪い去っていく。
若さ、ステータス、お金、情報、環境、全容。
これだけ消える悲しみが辛いのなら、何も知らないほうがよいのかもしれない。
ソクラテスさんは無知の知を説いたが、無知の一番の強いところは、知らないものが
消え去ったところで、何もダメージがないことだろう。
名前をつけて可愛がっていた蚊がひと夏の任を終え、夭折さる場合、その喪失感は
ひとしおだろうが、刹那の逢瀬しかない、ビジター蚊を招かれざる訪問客として
一打に伏すということであれば、何らダメージはなかろかろう。
「ポルテ」は、ココアパウダーがくりのようなフォルムの体にまぶされた
チョコ菓子で、中には優しいクリームがふしゅっと入っていて、ゆっくりと
舌の上で転がすと、テレテレと甘みが溶け出してくる。
いまさらですが、「ポルテ」は、チョコ菓子ではありません。
「母性」であり、「地球」であり、「浮遊」であり、「温熱」です。
この4大要素が脳を支配して、みなさんの味覚に対話を仕掛けてきているのです。
代替できるものがありましょうか?ないでしょう。
ポルテ状に胃がぐっと空いて、ちょうどポルテ分だけ空洞ができている。
僕は空洞。ポルテでないと満たせない。助けて助けてください。
違法なポルテを密造し、薄暗いマンションの一室を販路にしている、
知る人ぞ知る、裏ポルテ屋の情報を教えてください。一説にはYRP野比にあると聞きました。
よろしくお願いします。
2017年11月4日土曜日
街裏ぴんく 第2回単独公演「漫談」みた
街裏ぴんくの第2回単独公演「漫談」を見に行った。
とにかく良すぎて良すぎたな。
まず触りではアンケートをみんな終わってから書くということについて常識を問うている。
街ぴ(呼称が安定しない)はとにかく根底を疑ってかかってくれる。
表現として、多様なものに触れていくと、どうしても型にはまったことや、決まりごとや定型句は生まれてしまう。そんな枠組みを全て疑ってかかって、独自の審美眼で必要なものだけを残したような構成。
街ぴは巧みな話術で、ものの少しの時間で異世界へ誘ってくれる。恐ろしいのは、異世界に暮らす人が異世界に息づいており、しっかりと異世界の中の世界のルールに基づいて生活をしていることだ。
その中で、主人公の視点の人間が異世界と現実の橋渡しとして、いまの現実の温度をほんのり保ちつつ異世界に順応していく。
これはもはや大作映画のやり方だ。
途中、女二人にネタをせがまれネタをやる、というシニカルなネタを見せてくれたが、こうしてフォーマットからも楽しませようとするエンターテイメント精神、これはやはりライブのこだわるのも納得で、とにかくその場の人を楽しませようという考えも根幹にある証左になると思った。
しかし、そのフォーマットで楽しませてくれて、すごいな…と思っていたが、そんなのは単なる序章に過ぎなかった。次の普段のマイク1本でのネタに戻ってからそんなフォーマットで揺さぶりをかけて面白いと思っていたことが恥ずかしいと思えるほど、圧倒的なワードセンス、想像力を持っていままでにない笑いを提供してくれる。その足取りの力強さったらなく、語感、空気、呼吸で支配していく。その場の全員の心臓を一握りにして掌握しているかのような。皆、街ぴの一挙一動に目が行き、街ぴの笑って欲しいボケの着地をしっかりと受け止めることができる。
滑り止めの飛行場で理解者を見つけたと思うや、「飲もう!!!!!!!!」と服薬を覚悟するシーンなど、もはやこれは作り物じゃないんじゃないか?というような、世界に生きている人間のリアルな狂気と言うか、ある種の逸れた常識が納得性を持って殴りかかってくる。
異世界に行ったことを我々に証言できる、稀有な存在、それが街裏ぴんくなのかもしれない。
バウ という架空のアニメの話では、架空のアニメの架空の面白かった回を創造して纏めてしまう。こんな真似をされたら、神でしか太刀打ちが出来ない。テレビの限られたコンテンツの面白いと思った回を競うように報告し合うような真似をしている我々がどれほど矮小な存在かをわからされてしまった。架空のアニメのをの面白い回を報告し合う方が面白いに決まっている。
確かに、そんなことを細切れにインターネット上やひとネタの一節で切り取って行える人は多くいるかもしれないが、それを一つの話に纏め上げ、一本ストーリーの筋を通して、その構成力で纏め上げ
さらにはそれを発展させ新たな世界を作り出す、こんなことは街裏ぴんくでしか出来ないだろう。
街裏ぴんくを知れたこと、街裏ぴんくがこうして面白いライブをやってくれていることに全幅の感謝をすると共に、こうして街裏ぴんくが痛烈に血沸き肉踊るほどに面白いと思えるタイプでいれたことにひたすら幸福を感じる。
さて、そろそろ死んで見ようと思う。常識を疑って、笑いの萌芽が起こるかもしれないのは街裏ぴんくが証明してくれた。
※追記 バウは実在するアニメの話だそうなので、ずれた感想をお許しください。
※追記 バウは実在するアニメの話だそうなので、ずれた感想をお許しください。
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おじょるもる
(えなりのおじゃる丸?) タイトル疑念を通過したところでカード(※記事のことです)をどうぞ 本日のカードは お、おばあさ~~~~~~~~~~~~~~~ん!!!!!!!!!!!!!!!!!!! あっすみません、シンプルに「おばあさんが轢かれたとき」を行ってしまいました 人生で「...