2018年6月25日月曜日

ヤメリ

この記事はマジで読まないで欲しいです

カードごす(挨拶)

よく、「テレビは偏向的な報道をしている」と聞く。自分もそう思う。

"報道" という性質上、一方的な取り上げ方しか出来ない場合は仕方ない。

Aさんが、「とあるBさんの絵」を Aさん「取るに足らない駄作だ。児戯に等しい」と批判したとしましょう。
これを、メディア「絵の神 Aさんが重大な発言!!!!!Bさんはオワコン化か」と取りざたしたとしましょう。

メディア「Bさん!どうなんですか!意見をお願いします!」と聞いたとして、

Bさん「そんな意見は言わせておけばいい。何とも思わないよ。自分は自分だから」と言ったとしましょう。

メディア「Bさんはそういう意見でした。いや~何も言わないなんてクソザコナメクジですね」と言ったとしましょう。

これは、両者の意見が出そろい、それを報じた上で論調を決めています。
多少どちらかに肩入れがあったとしても、それはまだ公正だと認めましょう。

上記の例で、Bさんが、「許せん!!!!!Aは絵の神でも何でもない!絵を評価できるのか?」と言ったとしましょう。
それなのに、メディアはそれを、Bさんの意見を報じず、引き続き「いや~Aさんがこう言ってても、まだのうのうとBさんは絵を描き続けています。」などと報じたら、やばいですよね。

僕の感覚や主観的な見方で言うと、そういう出来事が、いま普通にテレビやメディアで、起きています。

それがやばいし、おかしいよなぁとは思うんですけど、それを周りに共感を得ようとしたり、釈明してみようとしたところで、
周りマン「え、そうなん?じゃあなんでそんなことするの?」と聞かれ、

カード「いや・・・・それはわからないけど・・・・」

となったら、

周りマン「そんなことするわけないよ。考えすぎだよ。異常論者現実見ろよ。きもいおしぼりで涙拭くか?」

となってしまいます。

でも、一方的な報道は厳然と存在し、その理由も「巨悪があるから」という想像の域を出ないことしか言えません。
この状況を納得せしめるだけの論証もないし、推察の域を出ないのですが、明らかな偏重がある以上、
「メディアの言うことを妄信的に聞くな。事実として存在する国会の議事録や、議員のブログなど、信用できる情報を読もう。」
「また、信用できる、事実を羅列してくれる人を知っておいて、その人の言うことを読んでおこう。」
「ひとつの情報源に偏りすぎず、色んな情報収集のすべを持っておこう。」
といった啓蒙があります。

しかし、そういった信用を覆しかねない、「財務省の文書改ざん」問題は許しがたいですね。
公的な文書すら、疑ってかからないとなったら、我々はひとつの指針を失います。
ひたすら、猜疑的になり、国家に対する信頼もあったものじゃなくなってしまいます。

ただ、まだそこまで行くほどではない、と僕が思っているのは、今回の改ざんされた文書の範囲が、
「文書の性質や問題の根底を覆すほどの改ざんではない」という点です。
たとえば、本当は議事の結果、「案1で行こう!」と決まっていたのに、議事録上、「案2で行く」と書いてあり、
「会議ではずっと案2で決まっていました!」と言い出したら、それは本当に情報の信頼性を覆してしまう重大な重篤な極めて危険な改ざんです。

しかし、今回はそこまで至っていません。誤解を招きかねない、もしくは、目ざとくその表現を槍玉に挙げられたら、
その文書を取りざたされて、更に追及される一因となりかねない。そういった点を削った、という性質の改ざんであると捉えているからです。

これは、財務省の怠慢であり、姿勢としても在り方としてもあってはいけないことなので、今後の再発を絶対にしないよう、文書を管理するシステムを設けて欲しいですね。
文書内容の公開の際、野党や第三者の関係者が即座に議事等の内容をすり合わせの上、チェックを挟むシステムにできないんですかね?
そこは相互的に情報の信頼性を上げる取り組みがあってもよいと思うんです。
本来、与党・野党の在り方って、単に国を発展・保守・保全・運営・革新等すべて含めて、良いほう、より良いほうに進める、という意義が強いのです。
そういった、部分だけでも、手を取り合って、「今後国から発信する情報は信頼できるものにします!野党も大手を振って協力します!」と言えないものですかね?
財務省だけの責を追求し、辞任をひたすらに求めるだけでは何の発展性もないんだと思うんですけど…。

という、「情報の信頼性」についての検討はそれまでにしておいて、

「公的な情報等を収集できるようにしよう」という、"情報の発信源"への考え方、
また「情報の受け取り方や理解のために、信頼できる人を作ろう」という、"情報の理解"への考え方、
「誤った情報を周りに拡散しないように、自身の中での理解を深める」という、"情報の氾濫・雑多化"への考え方。

しっかりと、みんな、真っ向から情報に立ち向かえばいいんです。
政治的なことはあまり詳しくないけれど、しっかりと「どちらがより物事の本質を見据えて行動しているのか」という考慮をすれば、
おのずと良い方向性は見えてきます。

そして、今ある「問題」の根幹は何なのか。という、問題の本質を考えることも大切です。
最初の例で言うと、「なんでAさんは、Bさんの絵を批判しているのか?」という点を考えると、わかりやすいですね。
両者の意見を聞くことで、漫然的に意見を流動させるのではなく、まず、「何を以て批判しているのか」という点。
1. 他を冒涜するような表現があり、人の侵害等を考慮しない乱暴な絵を書いていて、児戯に等しいとAさんが言っているのか?
2. 表現に円熟性がないと捉え、まだこの人の絵を認めるべきではない。業界の発展性のために、Aさんが批判しているのか?
3. 単に、個人的な感想や、恣意的な思いで、AさんがBさんの絵をこき下ろそうとしているのか?

という見え方が変わるだけで、問題の本質が変わるでしょう。
そういった考慮をしっかりと成さずに、意見が散文的になることがよく見受けられます。
慈愛や許容を持つだけで、問題の本質を見ることができます。ぜひ試してみてください(は?)

こういうことを論じることが恥ずかしいとか、普通じゃないというか異端であるような風になる風潮、とても怖い

こういう風に人々が、「情報に対する自衛」が出来るようになると、世の中はもっとよい方向に向かうと思うのですけれどね…。

あーーーーハズカシリ

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