2018年6月5日火曜日

すびそ

「甘いガス」というアトラクションがあったら、流行りそうじゃないですか?
かなりの密室に入るのですが、しばらくかなりの間、照明が付いたり消えたり、
色が明滅したり、かなり無音が訪れたのち、ゆっくりと、じんわりと、
「甘いガス」が出てくるというアトラクションです。
色んな感情が錯綜して、わけわからなくなって、「ホエ…」と出てくるのではないでしょうか。

カーーーーードじゃす。

破滅型のすごい登山家が山に伏しましたね。
よく、死者が出ると、「崇高なる念をもって」「厳重な気を遣って」
送り出してあげなければならない、ような空気感があることを感じています。
ただ、こういった、山に伏した人に対する空気感が、なんだか、"人" の "末" の
"ひとつの解" では?というような空気感であるのが、好きなんですよね。

往々にして、「死のリスク」と遠いところにおり、すべての活動を行っている人、
「歌」や「スポーツ」や「芸事」や「一般業務」等々等々etcetc の人人々々が
死んでしまうと、「死」というものは「忌避していた」ものであり、
望まぬ「終わり」という感が強くなり、みんなが「><」となってしまう。

登山家や、ジャーナリストにおける「死」はある意味、「本懐」と取れなくはない。
人によっては望まぬ「終わり」ではありますが、しかしながら、「死」をお隣さんとして
認めて活動を日々行っていた者としては、ある意味、傍受すべきことだと思うのです。
当然、望まぬことではありますが。ただ、多く、傍に、「死」を抱き枕として寝ていたことで、
それに対する、受け取り方は、「準備」されていたのではないでしょうか、ということ。

すきな漫画が2つあるのですけど、「神々の山嶺」と、「プラネテス」というやつです。
前者なんてまさに、今回のようなことに似たことを考えさせられる漫画で、
両社に特に共通する項としては、「孤独の在り方」を通して、「死生観」に特に
触れられる漫画です。

神々の山嶺は、何故だか愚直にエベレスト山頂を目指す人たちの物語が描かれています。
死や危険を顧みず、「本来であれば必要ない」ことをする。
本来であれば必要ないんですよ。山を登ることも。何かを追い求めることも。
でも、立ち返ってみると、"必要ない、という行動"は、本来、存在しないです。

必要ない、という無粋な言葉でくくってしまうのであれば、食事や呼吸などが
「生命を維持するため」に必要であって、それ以外はなにも必要なくなってしまう。
また、言ってしまえば、その「生命を維持するため」の活動が「必要」という決まりもない。
何をもってして、必要ない、と決めるのか、は「その人次第」で、
また、「その人も明確な答えを持っていない」わけです。
また、「明確な答え」は無いし、何をもってして、「答え」とするかという定義もない。
いわゆる、決めたもん勝ちの状態だと思っていて、「自分にはこの活動が必要!!!!!!!!」と
宣言し、遂行したら、生命が完成するのだと思うのですけど。どうですかね。

僕が昔したツイートを他人に「これすごい好きでした」と言われたことがあるのですが、
「死産は人生のTAS」というむちゃくちゃ不謹慎なツイートをしたことがあります。

ここで不謹慎なのは、周りを取り巻く人のことを一切考慮せず、「人の死生観のひとつ」としての
例示を一方的にしてしまっているのが不謹慎なのですが、
ただ、その点を不謹慎レンズを外して見て、「人の在り方」「人の終わり方」の正解をどう設定するか、
という考慮をすると、死産は、"亡くなった赤ちゃん本人がそう思っていれば" クリア なのです。

自分はいつ、クリアをするんだろうか。

生きる理由を探すというより、死なない理由を探して生きていく、後進的年輪を重ねる日々ですが、
ビルの窓がでかいと笑ってしまう。
窓がでかいと笑っている人間はたぶんそんな死ぬ理由がないと思うのでだいぶ大丈夫だ。

自分の前世はうにを殻ごと飲んで涙目になっている鳥のGIFだと思います。どう?

(話、戻される)

プラネテスという漫画は、とにかく宇宙で、生き方について考えることを強いられるというか、
「起こされる」漫画です。

日々、毎日、常時、「死に方」や「在り方」を考えていたら、その人は DangerMan です。
ふつうを少しやめてしまった人。ただ、それについて全く考えずに、「日常をやる」だけで
手一杯な人は、"寝ている"、"寝る"ことによって、泡沫の人生の安寧をほの覚えただけではなかろうか。
たとえば、でかい借金取りがでかい音ででかいドアをでかいドンドンドン!!!!!!!で
「でかい〇〇さん!!!!!!!!そこにいるのはわかってますよ!!!!!!!でかいいるんでしょ!!!!!」
と叫びたてたとして、布団をかぶって、早く行ってくれ・・・・とガタガタ震えながら、
耳栓をして、気づいたら寝ている。そんなシチュエーションの中で、いま、その眠りにつき、
「でかい夢の中」にいる状態なんじゃないでしょうか。
人生において、「考えること」を放棄するととても楽になるのですが、それが正解!とピンポンの音が鳴るかと言われたら難しい。
一度、起きて、死生観を考えてみないと、突如訪れる終わりに >< となってしまうだけなのはもったいない気もします。

「宇宙」に行ったら、多分、みんな「起きる」んじゃないでしょうか。
きっと、宇宙に行っても、のほほんと、「あ~~~~~~~~日常!宇宙最高!!!!!!!!」と
なっていたら"亜人"では?????????
たぶん、概ねが「起き」、「人の在り方」などを、自問自答の俎上に上げるのではないでしょうか。

自分はある程度の DangerMan 寄りなので、よく「終わり方」を考えているというか
"それ"をグルグル意識してしまい、ほぼ常時頭をとらえて離してくれることが少ないのですが、
逆に、「宇宙」に行って、新しい回答 を得たい ということは思っています。

宇宙 に行くクラウドファンディングでもして、40億円くらい集まらないだろうかしら。
それかでかいワシの爪で「クリア」したいね。

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