どうも、おじいさんです
間違えました。カードごす。(挨拶)
人生の節目には必ず「※つばめグリル」へ行くと相場が決まっている。
(※デパート等にあるほんのりだけ上等なハンバーグチェーン店)
受験で合格したときに何が食べたい?と聞かれた時もつばめグリルだったし、
親族の葬式だって、結婚式だって、親とともに外食に出る時はつばめグリルだった。
明確につばめグリルが好きかと問われたら、・・まあ、好きではあるが、そこまでの優位性があるわけではない、くらい、の位置なので、答えに困窮してしまう。
ただ、生まれてきてからずっと、人生の節目を見守ってくれたのがつばめグリルだっただけだ。
このもやとした感情を言語化するのがとても難しい。
母性や故郷に似た、懐郷的な秋の匂いをつばめグリルに感じている。
ばか有名すぎて話を出すのがすごく恥ずかしいのだけれど、松本人志作詞の「チキンライス」という歌がある。
あの曲に感動する人が多くいるのは知っているのだが、
歌詞に本当に自身の経験を照らし合わせて、共鳴して、
自身のノスタルジックをこじ開けられているような、
何とも言えない掻痒感に苛まれる人はどのくらいいるのだろうか。
ばか有名すぎて恥ずかしいけど一応歌詞を貼るけども
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[チキンライス]
子供の頃たまに家族で外食
いつも頼んでいたのはチキンライス
豪華なもの頼めば二度とつれてきては
もらえないような気がして
親に気を使っていたあんな気持ち
今の子供に理解できるかな?
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この距離感の線上にあるのが、「つばめグリル」なんです。
うちは、外食が少なかった。節目や、イベント以外では外食に出ない家でした。
別にそこまで貧しいわけではなく、家庭内での食事が特に多い家庭だったというのがありますが、
幼少期にその判別ができないわけで、「うちは貧乏なのかもしれない」という思いがずっと脳裏にあった。
つばめグリル以外で外食しても、高いメニューを遠慮して頼まないという経験も往々にしてありました。
ただ、その遠慮経験がチキンライスに共鳴するというより、その経験を踏まえた上で「つばめグリル」と共鳴していました。
つばめグリルは、少し節目にしか訪れない外食で、それぞれのメニューが同列にそれなりの値段だ。
しかし、頼むのは「ハンバーグ」でしかない。その中で遠慮して頼めないような高価なハンバーグは無く、
つばめグリルに訪れた時点で、「その店のすべてが許されている」のだ。
その遠慮が開放される心のイベントが「つばめグリル」なのであって、「チキンライス」が「ハンバーグ」に共鳴するのだ。
気付いたら人生も四半世紀を過ぎて、何か別の生命体になることを検討しなければならない時期だ。
いつからか仕事もして、お金もほどほどにある。
ふと、気づいたら、特別だった「つばめグリル」と同じような値段の外食を、「通常のこと」として行えるようになってしまった。
…そういうことに気づいた瞬間、自身の変革がとても望まないような方向で起こっている気がして、とても悲しかった。
特別だった、「つばめグリル」のシンパシーが薄まってしまう気がして。
いつでももういけるんだ。あの場所に。そして、きらきらと見えていたハンバーグだけじゃない。昔は何も気になっていなかった、ホタテ貝のスープも、ワインも、アイスバインも、メニューに見えるようになっている。"可視"。
そして何も気にせず、頼んでいいんだ…。特別なイベントじゃないんだ…。
僕の好きな「つばめグリル」という特別な場所は、もう無いんだ…。と思ってしまいました。
でも、「昔の特別なイベント」が継続していることなんて、考えたらあり得ない話ですね。
子供のころ楽しみだった誕生日の感覚も、もう無いし、夏休み前のきらきらとした授業のそわ、そわ、とした感じだって、
大晦日のわくわくとして気がついたら炬燵で寝てしまって親に布団に運んでもらって、なんて、もう無いんですよね。
気付いたらそういう子供の感覚を、切らずに残し続けていたのが「つばめグリル」だけだったのかもしれない。
自分の立場が変わっても、「つばめグリル」という場所はあり続けるので、今後も人生の節目に訪れて、「特別な場所」として守り続けたい。
誰かが結婚するときも、出産したときも、転居したときも、転職するときも、なんだっていい。
イベントごとだけの「特別なつばめグリル」を守って、そうしてその他の人にも、「特別なつばめグリル」を育ててあげたい。
「あのときに訪れた店だ」と…。
でも、自分のように「幼少期の痛烈な記憶痕がこびりついている」わけではない、
他の人には、「つばめグリルが同じくらい特別な存在」と昇華するのは無理だし、カジュアルにどんどん足を運んでもらいたい。
…通常時の客足が減って、潰れちゃったら、困るので。
(アメリカンジョークみたいな終わり方すな!)
カードグリルでした
2018年10月1日月曜日
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