松村邦洋が痩せた、
そんなニュースを見て、ふと「ああ、この世に永遠なんてないんだな」と思ってしまう。
空虚な午後を抜け出し、うすくらくなった街並みをふらりふらりとぼんやりとした足取りで縫う。
街灯に吸い寄せられる夜光虫のようにやよい軒に入ってしまう。これは性だろう、人としての。
やよい軒の無機質なドアをくぐり、ドアからの距離が異常に狭い券売機と直面する。
字は僅少である、絵が狂ったように踊られている食券機のキャンバスと対峙した瞬間、
"ポン"と小気味よい音をたてて、脳の脇にある栓が抜けて、閉じた自動ドアにぶつかり足元に落ちる。
脳がすっ、すっ、ぼっ、ぼっ、ぼわっ、ぼわっ、じじじ、じじじじ…と熱くなっていく。
俺は支配されたヤカンくんだ。その他の思考は一切排除される。
アイドリングしていた脳が全ギアに全振りになり理性などを置き去りにして、戦闘の準備を始める。
食券機に手が伸びる。食べたいメニューを考える隙もなく、やよい軒サイドがキャンペーンの広告を
いくら出そうが、脳に入り込む隙間もない。"しょうが焼き定食" のボタンを押す。
誰が何を言おうが、これが僕の最適解だ。しょうが焼き定食を踏み台にして、やよい軒と最高裁まで戦う構えだ。
いつもと変わらないブツが配膳される。まずは、すぅっと、冷やっこに醤油を微量垂らす、
「戦闘を開始するぞ」と全自分の全期間に最後通告を行う。
醤油を控えめにするのは、味の階段を作るためだ。一度登り切ったあと、低い位置にあるものを
すべて知覚するのは無理だ。順序だてて、ゆっくりと階段を上っていくのだ。
冷やっこの次は、テーブルの上にある漬物を用いる。二口、三口とご飯を進めていく。
お次はサラダだ。胡麻ドレッシングが小気味よくかけられた"それ"は、自然と味の階段を既に独自に構築している。
なれば、することは一つ。まずはドレッシングの薄い地帯を選び抜き、ご飯と一緒にいただく。
次に味噌汁をすすりこみ、ご飯を運ぶ。
サラダ、漬物、味噌汁だけでまずは1体目のご飯を撃破することが最初の任務であり、決定である。
正直、やよい軒に足を踏み入れ、戦闘のために脳の蓋が開くと、空腹という感覚がなくなる。
ひたすら、前進せよ、前進せよ、と命令し続ける脳の指令機関が体を充足させ何もかもがわからなくなる。
2体目のご飯は、残りの冷っこに醤油をさらに回しかけ、漬物、サラダのドレッシング部分、味噌汁で打破にかかる。
3体目は、生姜焼きの野菜部分と端肉、味噌汁、漬物の布陣で攻め立てる。
4体目でいよいよ本丸、生姜焼きを使う時が来るのだ。
さて、この記述の分量を見ていただきわかるように、やよい軒では戦闘の陣形、作戦を考えているときにのみ、
頭が総回転し、あとは一切の検討の余地も、イレギュラーに対する応戦もない。
オンスケで予定をこなす歯車でしかないのだ。
本来、最も楽しく、メインイベントであるべき、生姜焼きへの突入のころには、もう戦争は終わっているのだ。
やよい軒で、いつか純粋に食事を楽しみたい。Freeご飯の呪縛が解けない限り、その日は来ないだろう。
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